- Home
- コラム・インタビュー, マネー・ライフ
- 11歳の少年がアジア初の快挙!365日ピザを焼き続けて世界一になった親子の挑戦

小学生の頃の夢をあなたは覚えていますか?
広島県呉市に住む成本 豊穂(あつひで)くんは、小学5年生の11歳で「ピザ職人になる」という夢を叶え、ナポリピッツァ職人世界選手権のジュニア部門でアジア人初となる優勝を飾りました。今回は、夢を叶えるまでの道のりについて、豊穂くんと、ピザ職人である父の成本 豊氏に伺いました。
<目次>
365日ピザ作りチャレンジを開始
ナポリピッツァ職人選手権への挑戦は、家庭で取り組んでいた「365日朝活チャレンジ」から始まりました。豊穂くんが通う学校では小学4年生の時に「1/2成人式」が行われ、将来の夢を発表します。その際、豊穂くんは「ピザ職人になりたい!」と言いました。
それから朝活でピザ作りをスタートさせたらその魅力にハマったそうです。挑戦を始めてから「ピザ職人になりたい」と言ったことを後悔したことはなく、難しい工程ができるようになることに楽しさを覚えました。
そんな日々の中でも、一度だけピザを作るのがしんどくなり休んだ日がありました。
「窯に入れる工程が難しくて苦手です。上手に窯入れができず、やめたくなりました」
翌日には気持ちを切り替え再スタート。その時、ピザ作りの師匠である父の豊さんから「迷いは敵」という言葉をもらい、感銘を受けたそうです。「うまくやろうという気持ちを捨て、怖がらずに迷わずに思いっきりやってみよう」と思った豊穂くん。その結果、窯入れという大きな壁を乗り越えられました。
豊穂くんは365日チャレンジを振り返り、「お客さんにピザを振る舞ったときが一番嬉しかった」と言います。
「『おいしい。また作ってね』と言ってもらえて、お客さんの笑顔を見たときが一番嬉しかったです。これまでは練習ばかりだった。初めて誰かのためにピザを作れて楽しかった」
その時に作ったのはマルゲリータ。豊穂くんが最も得意とするピザだそうです。
アジア人初の世界一を達成

365日チャレンジに取り組むなかで、世界へ挑戦したい気持ちも芽生えてきた成本親子。豊穂くんをサポートしていた父の豊さんも一緒に挑戦することになります。ナポリピッツァ職人世界選手権のジュニア部門に日本人が出場したことはありません。また、親子で世界大会へ出場した職人もいませんでした。
父の豊さんは「今回の挑戦は日本のピザ業界でジュニア世代の職人が育ってきたことを証明する結果になったのではないかか」と話します。
イタリア・ナポリの舞台、大会本番の豊穂くんは、冷や汗をかくほどドキドキし、本番が近づくにつれ緊張が高まったそうです。
「周りにはうまい同世代の子たちがいて。『自分が1番だ』と思って挑みましたが、終わった時に『もうこれはダメだ……』と思うくらいうまくいきませんでした」
しかし、そんな豊穂くんの自己評価とは裏腹に審査員からは高く評価され、見事、アジア人初となるジュニア部門での優勝を成し遂げたのです。
「世界一になったときは嬉しさよりも驚きが勝ち、実感が湧かなかった」という豊穂くん。ナポリで食べた本場のピザにも感銘を受けたそうです。
大切なのは子どもと同じように考えること

豊穂くんのピザ職人への挑戦を支えたのは、家族の存在。ピザ職人である父の豊さんは、365日の朝活チャレンジも毎日一緒に付き合いました。
そんな豊さんが子育てで大切にしているのは「意識レベルを子どもと一緒にすること」です。
「失敗しそうな提案も『よし!やってみようか!』と試すようにしています。大人は挑戦した結果の正解を知っていることも多く、子どもが挑戦する前に止めることも多いですよね。ただ、子どもにとっては初めてのことです。その目線で一緒に取り組むことを大切にしています」
アイデアを試し、失敗を経験すると成功へのイメージも膨らみやすくなります。「工夫するために自分で考えるようになりますよね」と豊さんは続けます。
正解までの道のりを最短で伝えることもできますが、遠回りだったとしても、たとえ時間が多く必要になったとしても、豊穂くんが自ら考えることを優先していたそうです。
また、365日チャレンジの中では、“もし”という妄想の話を親子でする時間も作っていました。
「もし、本当にイタリアに行けたら……」
「もし、世界一になったら……」
「もし、この活動が広く知られてテレビ取材が来たら……」
前向きな妄想を繰り広げることで、実現するために必要なプロセスを逆算して考えられるようになります。人に求めるのではなく、自分が変わることで周りが変わっていく。だからコツコツ365日続けることが大切であると考えます。
さらに、この365日チャレンジや世界への挑戦は、豊さん自身のためでもあったと言います。365日チャレンジは姉が小学4年生のときにも行っており、多感になる年頃の子どもとの接点の持ち方を豊さんなりに考えて出した親子の時間でした。
豊さんは、毎日仕事が忙しいことを言い訳にして子どもと向き合うことから逃げている自分に気づき、将来子どもが大人になったとき、何か記憶に残る関わり方がしたいと思ったそうです。
「この活動を通して父親として伝えたいことはすべて伝えました。大人になってこの日々を思い返してくれたらいいなと思います」
将来は父を超えるライバルに

小学6年生の豊穂くんはこれからの夢についてこう語ります。
「追われる立場で怖いけど、もう一度世界大会に出て2連覇してみたいです。あとは父の店を継ぐのではなく、自分の店を持ちたい。ライバルとして超えたいと思う。東京都や本場イタリアで店を構えるのもおもしろそう。将来は自分の作るピザをコンビニで買えるようにしたいです」
今でこそ堂々と未来のビジョンを語る豊穂くんですが、世界大会への挑戦が自分自身を変える大きなきっかけになったといいます。
「これまでは笑われたり、変な目で見られるのが怖くて夢を言葉にできなかった。でも、夢を語ると助けてくれる人もいる。考えてるだけではなく、言葉にすることが大切だと実感しました。僕も両親のおかげで成長できたので、『ありがとうございます』の気持ちでいっぱいです」
そう語る豊穂くんの成長を、父・豊さんはこれからも見守っていきます。
「子どもなので夢が変わるのは当たり前だと思います。ただ、ピザ職人と違う道に進んでも、挑戦する気持ちは持ち続けて欲しいですね」
豊穂くんの挑戦からは、私たち大人も学ぶべきことがたくさんあります。継続することの大切さ、そして夢を語る勇気。 それらを知った彼の歩みは、これからも止まることなく続いていきます。






-150x112.png)








の看板-280x210.jpg)


-300x169.jpg)