【検証】1、2審共に無罪「紀州のドン・ファン」事件、報道の印象と異なる事件の実相

1、2審共に無罪になった「紀州のドン・ファン」事件

いわゆる「紀州のドン・ファン」事件で、夫を殺害するなどした罪に問われた女性・須藤早貴氏(30)が3月23日、裁判員裁判だった和歌山地裁の1審に続き、大阪高裁の2審でも無罪の判決を受けた。しかし、検察側がこれを不服として最高裁に上告したため、須藤氏は今後も被告人として、逆転有罪の危険にさらされ続けることになった。

私はこの事件を捜査段階から取材してきたが、結論から言うと、須藤氏が置かれた現在の状況は極めて理不尽なものだ。メディアでは、須藤氏は「疑わしきは罰せず」という刑事裁判の原則が忠実に守られ、無罪になったグレーの被告人であるように伝えられてきた。しかし実際には、須藤氏は「疑わしさ」もほとんど見受けられない、限りなく白い被告人だからだ。

検察は上告などせず、控訴審で無罪を確定させるべきだった。取材の記録をひもとき、説明したい。

<目次>

最初から「殺人事件」と決めつけた和歌山県警

 ▲「紀州のドン・ファン」と呼ばれた野崎氏は、女性遍歴を赤裸々に綴った著書も上梓していた

まず、事件の経緯を振り返っておく。

事件の発端は2018年5月24日、和歌山県田辺市の資産家・野崎幸助氏(当時77)が自宅で急死したことだった。司法解剖の結果、野崎氏の死因は急性覚醒剤中毒と判明。遺体に注射痕は無く、野崎氏は致死量を超える覚醒剤を経口摂取したとみられた。

虚心坦懐に事実関係を見れば、そもそも他殺ではなく、事故や自殺である可能性も考えられる死に方だと言える。しかし、和歌山県警は当初からこれを殺人事件と決めつけたような捜査を繰り広げた。その様子は当時、次のように報道されている。

〈77歳資産家変死 殺人容疑で捜索 和歌山県警、都内関係先〉(朝日新聞東京本社版2018年6月4日朝刊30面)

〈資産家殺人容疑 都内で家宅捜索 和歌山県警〉(毎日新聞東京本社版2018年6月4日夕刊7面)

〈資産家 遺体から覚醒剤 和歌山 殺人容疑で捜索〉(読売新聞東京本社版2018年6月4日朝刊34面)

県警は野崎氏が亡くなって早々に「殺人容疑」で野崎氏宅や都内の関係先への家宅捜索に踏み切ったわけである。

さらに県警は、野崎氏の愛犬イブ(ミニチュアダックスフント・雌)が野崎氏の亡くなる18日前に急死していたことにも疑いの目を向けた。そして、野崎氏宅の庭に埋葬されたイブの死骸を掘り起こし、覚醒剤の成分が検出されないかを調べている。

結局、イブの死骸から覚醒剤の成分は検出されなかった。だが、このような殺人事件と決めつけた県警の捜査とそれを伝えた報道により、野崎氏の死は他殺だと世間に印象付けられたのだ。

では、県警はなぜ、野崎氏が亡くなった当初から他殺と決めつけたのか。それは、野崎氏の妻だった須藤氏に偏見を抱いていたからであるのは自明だろう。

野崎氏は、金融業や不動産業で成功した資産家であると共に「紀州のドン・ファン」の異名を持つ好色家だったが、3人目の妻である須藤氏と結婚したのは亡くなるわずか3カ月前だった。須藤氏は当時21歳。年齢が55歳も離れた2人の結婚はメディアで面白おかしく取り上げられ、世間から奇異の目で見られていた。

そんななか、野崎氏が自宅で変死し、第一発見者は一緒に自宅にいた須藤氏だった。そのため、県警は事故や自殺の可能性も考えられる事案について、須藤氏による「遺産目当て」の殺人だとハナから決めつけたのだ。

週刊誌各誌は当時から、須藤氏の写真を目線入りで掲載し、実名を伏せたうえ、須藤氏が県警から疑われていることを大々的に報じた。須藤氏は一部メディアの取材を受け、潔白を訴えたが、疑惑を拭い去るまではいかず、「疑惑の妻」として世に広く知られる存在となった。

相次いで報道された「犯行を裏づける事実」

須藤早貴氏が起訴後、裁判員裁判が始まるまで3年以上、勾留されていた丸の内拘置支所(著者撮影)
▲丸の内拘置支所。須藤氏は起訴後、裁判員裁判が始まるまで3年以上、ここで勾留されていた(著者撮影)

捜査は思いのほか長期化し、須藤氏が和歌山県警に逮捕されたのは、野崎氏の死から3年近くが過ぎた2021年4月28日だった。罪名は、殺人と覚醒剤取締法違反(使用)。逮捕容疑は、2018年5月24日に野崎氏宅で、野崎氏に致死量の覚醒剤を口から摂取させ、殺害した――というものだ。

この逮捕以来、須藤氏の犯行を裏づける事実が見つかっているかのような報道が相次いだ。

「野崎氏が死亡直前、自宅で妻の須藤氏と2人きりになっていたことが捜査関係者への取材でわかった」(朝日新聞東京本社版2021年5月1日朝刊1面)

「須藤氏のスマートフォンには、覚醒剤の入手や殺害方法を検索した記録の他、密売人と接触した形跡も残っていた」(毎日新聞東京本社版2021年5月20日朝刊25面)

「須藤氏が県警にスマートフォンを任意提出する際、覚醒剤に関する検索履歴を消していた」(読売新聞東京本社版2021年5月1日朝刊27面)

こうした報道が続くなか、須藤氏は容疑を否認していたが、報道を漫然と見ていた人の多くはクロの心証を抱くことを避けられなかったはずだ。

そして同5月19日、和歌山地検は須藤氏を起訴。その後、公判前整理続きは長期化し、須藤氏に対する和歌山地裁での1審・裁判員裁判の初公判が開かれたのは2024年9月12日。逮捕からゆうに3年を越す歳月が過ぎていた。

こうして幕をあけた須藤氏の裁判は大きな注目を集めたが、検察官が起訴状を朗読し、この裁判で立証しようとする公訴事実を明らかにした時点で早くも疑問が浮上した。それは、以下のように公訴事実の骨子を示すだけで、わかる人にはわかるだろう。

〈被告人は、2018年5月24日午後4時50分頃から同日午後8時頃からまでの間に、和歌山県田辺市の野崎幸助氏の自宅において、野崎氏に対し、“何らかの方法”により致死量の覚醒剤を経口摂取させて殺害したものである〉

ここで注目して頂きたいのは、“何らかの方法”という部分だ。

覚醒剤は非常に苦い味がするため、「須藤氏が野崎氏に覚醒剤を口から飲ませたのであれば、一体どうやって飲ませたのか?」という疑問は、捜査段階からメディアでも指摘されていた。検察官は結局、裁判でもその疑問への答えを示せなかったのだ。

対する須藤氏は罪状認否で「私は(野崎氏を)殺していませんし、覚醒剤を飲ませたこともありません」と改めて、容疑を否認した。

何ら悪びれない須藤氏に対し、攻め手を欠いた検察官

須藤氏の裁判員裁判が行われた和歌山地裁(著者撮影)
▲2024年9月12日から同年12月12日まで須藤氏の裁判員裁判が行われた和歌山地裁(著者撮影)

私が裁判を傍聴し、何より印象的だったのは、須藤氏が被告人質問の際、夫だった野崎氏を「社長」と呼び、愛していなかったことを隠そうとしなかったことだ。

須藤氏によると、野崎氏とは、モデルの仕事を一緒にした女性から「お金持ちの男性に興味ある?」と紹介されて知り合った。そして野崎氏から「結婚すれば、毎月100万円を渡す」とプロポーズされた。これを受け入れて結婚する際、須藤氏からも次のような条件を示したという。

「『社長とは(結婚しても)セックスはできません』と言いました」

須藤氏は結婚後、野崎氏から「(性器を)手で触って欲しい」と頼まれ、野崎氏の性器を手で触ったことはあったが、その際は野崎氏の承諾を得たうえで新品のゴム手袋をつけたという。須藤氏は法廷でそんな結婚生活の内実を何ら悪びれることなく打ち明けた。

そんな須藤氏に対し、野崎氏を殺害した動機を「遺産」だったと主張する検察官は、「結婚は遺産目的ですか?」と単刀直入に質問した。須藤氏はこの質問にも何ら動じることなく、「遺産というより、お金目的です」と答えた。

また、検察官は、須藤氏が野崎氏から離婚されそうになり、遺産が得られなくなると焦って犯行に及んだように主張していた。須藤氏はこれに対しても、野崎氏が離婚を口にすることはよくあったと自ら明かし、こう説明した。

「社長は、私が昼まで寝ていた時に『いつまで寝てんのや。もう離婚や』と言ったり、私が家事をしないことについても『離婚や』と言ったりしていました。私は『はい。はい』という感じで、本当に離婚されるとはまったく思いませんでした」

堂々した証言態度の須藤氏に対し、検察官は攻め手を欠いていた。

覚醒剤の売人と接触したことについては、須藤氏も事実だと認めた。しかし、野崎氏に覚醒剤の購入を頼まれたからだったと主張。次のように経緯を説明した。

「社長から(性器を)触って欲しいと言われて触っても、社長が起たないことが何度か続き、『もうダメだから、覚醒剤を買ってきてくれませんか?』と言われました。冗談だと思い、『お金くれるならいいよ』と言ったら、社長は20万円を渡してくれました」

須藤氏はこの20万円を銀行口座に入金し、しばらく放置していたという。しかし、野崎氏に「あれ、どうなった?」と催促されたため、ネットで売人を見つけて注文。野崎氏宅から歩いて5分のコンビニの近くで売人と落ち合って10万円を渡し、白いカタマリが入った封筒を受け取ったという。

「家でその袋を社長に渡したら、『おお、ありがとう』と喜んでいました。でも翌日、『あれは使い物にならん。偽物や。もうお前には頼まん』と言われました」

以上はあくまで須藤氏の主張だ。したがって、鵜呑みにするわけにはいかない。

とはいえ、須藤氏が覚醒剤の売人と接触する1週間前の4月1日に須藤氏の銀行の口座に20万円の入金の記録があるなど、須藤氏の主張は事実に裏づけられていた。さらに証人出廷した売人2人のうち、1人は「本物の覚醒剤を渡した」と証言したが、もう1人は「渡したのは氷砂糖(=偽物)だった」と証言しており、須藤氏の証言と一致した。

加えて、野崎氏の知人女性の証言によると、野崎氏は電話で「覚醒剤やってるで。えへへ」などと酔ったような状態で言ったこともあったという。このように野崎氏が生前、須藤氏とは関係なく独自に覚醒剤を使っていたことを示す証拠は揃っていた。

なお、1、2審共に須藤氏は殺人罪のみならず、覚醒剤取締法違反(使用)でも無罪とされているが、それは売人から受け取った品物が覚醒剤ではなく、氷砂糖である可能性も否定できないと判断されたためだ。

須藤氏の所持品から覚醒剤反応が検出された真相

事件の現場にもなった野崎氏宅(著者撮影)
▲事件の現場にもなった野崎氏宅。家の中のあちこちから覚醒剤反応が検出されていた(著者撮影)

一方で1審の公判では、捜査に携わった警察官が証人出廷し、野崎氏が亡くなった翌年の7月に須藤氏の所持品を調べたところ、サングラスや靴、上着などから覚醒剤の陽性反応があったと証言した。この事実を伝えた報道(たとえば、産経ニュース2024年9月24日配信記事)に触れ、改めて須藤氏に怪しい印象を抱いた人もいるかもしれない。

しかし、これらの覚醒剤の陽性反応も実際には、むしろ須藤氏に有利な事実として解釈可能だった。それを理解して頂くには、以下のような被告人質問での須藤氏と弁護人のやりとりを見て頂くのがわかりやすい。

弁護人「あなたのライダースジャケットやサングラス、パスポートケースから覚醒剤反応が出ていますが、なぜだと思いますか?」

須藤氏「社長の家では1階からも2階からも覚醒剤反応が出ているので、いつ(覚醒剤が)付いてもおかしくないと思います」

弁護人「どういう状況で付くことがありえますか?」

須藤氏「机の上とかソファーの上とか、私が手で触ってしまって付くこともあると思います」

弁護人「家政婦の女性のカーディガンからも覚醒剤反応が出ていますが、なぜだと思いますか?」

須藤被告「家の中のあちこちに覚醒剤成分があったからだと思います」

須藤氏のこの証言について、検察官は反対尋問で真偽を追及せず、事実だと認めたに等しかった。つまり、覚醒剤反応は須藤氏の所持品だけではなく、野崎氏宅のあちこちから出ていて、さらに家政婦の女性の衣服からも検出されていたわけだ。この事実からしても、覚醒剤を使っていたのは須藤氏ではなく、野崎氏だったと解釈したほうが素直だ。

1審の公判では、検察官が有罪を立証するため、須藤氏のスマホやタブレットパソコンから抽出したネットの検索履歴を多数示したことも話題になった。たとえば、須藤氏は「完全犯罪」「老人 死亡」などの言葉を検索しており、報道でこの事実を知った人は怪しい印象を抱いたことだろう。

だが、こうした検索履歴についても、須藤氏はちゃんと説明できていた。

「グロテスクな事件や不気味な事件について、調べるのが好きで検索したものです」

実際、須藤氏は「酒鬼薔薇聖斗」や「佐川一政」など有名な猟奇的殺人犯の名前を検索していた。そういった人物の名前や事件を検索する中、「完全犯罪」などの言葉も検索していたのだ。

「老人 死亡」と検索したことについては、「老人ホームで職員の男が入所者3人を転落死させた事件の動画を見て、その関係で検索しました」と説明していたが、実際に当時、そういう事件を起したとされる男が裁判員裁判で死刑判決を受けていた(※川崎市老人ホーム転落死事件などと呼ばれる事件のことだ)。

また、須藤氏は「覚醒剤 過剰摂取」や「覚醒剤 死亡」など、野崎氏の死と一見関係ありそうな検索も行っていた。しかし、須藤氏はこれらについても、覚醒剤中毒で死亡したとされる歌手・尾崎豊の動画を視聴しており、その関連で検索したものだということで説明がついていた。

ちなみに須藤氏によると、きょうだいと仲が悪く、子供もおらず、愛犬のイブを溺愛していた野崎氏は、自身の死の18日前にイブが急死して以来、激しく落ち込み、涙を流しながら「死にたい」とまで言っていたという。須藤氏は当時、「老人 頭がおかしい 理由」「老人性うつ」などとネットで検索しており、この証言も本当のことだと裏付けられていた。

つまり、野崎氏が愛犬の死により自暴自棄になるなどし、自ら致死量の覚醒剤を飲んでしまった可能性も法廷に示されていたということだ。

事件の実相をよく言い表していた裁判員の男性の言葉

須藤氏が無罪とされた和歌山地裁の判決後、会見した裁判員の男性(著者撮影)
▲須藤氏が無罪とされた和歌山地裁の判決後、会見した裁判員の男性。事件の実相をよく言い表した発言をした(著者撮影)

こうしてみていくと、私が本稿の冒頭で須藤氏について、「疑わしさ」もほとんど見受けられない、限りなく白い被告人だったと述べたこともご理解いただけるのではないか。2024年12月12日、和歌山地裁の1審で須藤氏に無罪判決が宣告された後、裁判員の男性が会見で発した以下の言葉はこの事件の実相をよく言い表している。

「報道で見る事件と、裁判員として見る事件では全然見え方が違うのだな、と思いました」

この男性も報道で須藤氏に怪しげな印象を抱いたが、裁判員として証拠に触れ、報道の印象と裏腹に須藤氏が限りなく白い被告人だと理解したのだろう。そして2審・大阪高裁も検察の控訴を棄却し、この1審の無罪判決の判断を是認した。検察官はこの結果を受け入れ、無罪を確定させるべきだった。

なお、検察が上告したことが報道された直後、X上で「須藤早貴(紀州のドンファンの嫁)」名義のアカウントがこの事件の内幕を暴露するような投稿を重ね、ネット上で注目を集めたが、そのことにも触れておきたい。私は「あるルート」で確認したが、あのアカウントはまぎれもなく須藤氏本人が開設したものだからだ。

須藤氏はこのX及び一緒に開設したブログにおいて、無罪確定すれば取材を解禁し、警察と検察の捜査の内実などを暴露する意向を示している。須藤氏が最高裁で無罪が確定し、それが実現した時には、多くの人に耳を傾けて頂きたい。それにより、この事件の実相が報道の印象と異なることは、より深く理解できるはずだ。

片岡健ノンフィクションライター

投稿者プロフィール

1971年生まれ。新旧様々な事件を取材し、冤罪や見過ごされた事実を発掘している。ひとり出版社「リミアンドテッド」を運営。漫画原作も手がける。

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