なぜ少年審判の裁判官は「プレイヤー」になるのか。大人の刑事裁判とは違う独特の距離感と駆け引き

とかく世間からバッシングを受けることも多い少年法。しかし、その少年法が適用される少年事件において、どのようなことが行われているか知っている人は少ない。
本記事では、個人情報に配慮して事案を抽象化させながら、特に子供が逮捕されたという、親から見ても危機度の高い場面の実態を、少年事件にかかわる弁護士目線で紹介する記事の続きである。
今回は、最終的に判断を出す裁判官とのやり取りや、審判の様子などについて具体的な活動エピソードを交えながらお伝えしようと思う。
<目次>
少年審判で「裁判官がプレイヤーになる」理由

弁護士が少年事件において裁判官と接する機会は、そんな多いわけではない。熱心に取り組んでいても、鑑別所に入る前に観護措置をめぐって行う面談、審判前に意見を交わす審判前面談、そして審判時の3回ぐらいである。ただ、弁護士との距離感は、大人の刑事事件の時とだいぶ異なるように思う。
大人の刑事事件では、一方の検察官が勾留を求めて身柄の拘束を求め、あるいは裁判にて主張を行い有罪を求める。弁護人は、釈放を求めて反論し、あるいは裁判にて無罪の根拠を示し、減刑の理由を主張する。裁判官は、この二当事者の間に立って法に従った判断をする審判役だ。どちらに肩入れしてもダメということになっている。そのため、発言においてどうも口が重く固い。
少年事件における裁判官は、もう少しざっくばらんに話してくれる感覚がある。そもそも犯罪となる行為があったのかという点から争いがあり、弁護士と検察官が争う場面も存在はするのだが、犯罪があった前提で進んでいる少年手続では、検察官は出てこない。
裁判官も、自ら少年に質問をして最後に結論を出したりするので、もう少しプレイヤー感が強い。だからなのか、刑事事件の時より積極的に話してくれるように感じる。私は、少年事件でのみ作成するいくつかの文書のタイプがあるのだが、これらは実際に作成して用いた際の、裁判官から受けたレビューなどをもとに有効であると判断していったものである。
もっとも、当事者の前では処分を下す側と擁護する側であり、審判本番中はもう少し緊張感と距離感が生まれてくる。
大人の刑事裁判と比べて、少年事件の審判は、制度やルールも違うのだが、そもそも構造自体が物理的に異なるところもある。刑事裁判では「法壇」といって、裁判官たちは少し高くなったところに座っているのだが、少年事件では目線が同じになるよう、裁判官のすわる側に高さを作らず、全員が同じ高さで手続を始める。
もっとも、理念上はそうだとしても、本当に全員が対等に座って話しているようには、どう見ても見えない。審判廷の奥側真ん中に裁判官が座り、手前側のベンチなどに少年とその保護者が座る。弁護士は、横にいて、ややもすればおまけみたいに見えてくる。
審判廷でもアドリブは求められる

おまけみたいというのは、半分は自重気味の言葉だが、ぼーっとしていると本当におまけになってしまうのも、少年審判廷の特徴である。裁判官が直接、少年に質問を投げかけて会話をしていき、次には家族に対して話をなげかけていく。あくまで手続を主導しているのは裁判官なのだ。
弁護士の仕事は、本番のこの日までに、保護者と少年両方の考えを整理し、自ら語れるよう指導助言するという、事前準備の部分が大きい。これまでも、審判になる前、調査官調査中などにあらかじめ書面を提出し、あるいは手続に関与する事前の部分の重要性を語っていたが、審判においても同様なのである。
本当に完璧に整った状態の少年や保護者なら、本番は弁護士が手助けする必要がなくなるのかもしれない。もちろん、そんなことが起こせるなら、そもそも非行といったこと自体起きていないであろう。
私は、当事者である少年たちに対して、本番で困ったらアイコンタクトを送るように伝えている。もっとも付添人も、裁判官に無断で質問していくことは許されない。
ルール上は、 少年審判規則第29条の4「付添人は、審判の席において、裁判長に告げて、少年に発問することができる」とされている。ただ、アイコンタクトを受け取ったり、あるいは受け取らずとも少年が困っていたら、すかさず助け舟をだすべきだ。
よくあるのが、質問の意味や答え方がよくわからなくなっている時だ。裁判官は、大人の中でもかなりカチッとした言葉を使う人たちである。少年には、意味が難しいときもある。そういう時は、すかさず手を挙げて、この点について私から質問で掘り下げてもよろしいでしょうか?と、裁判官の行おうとしている手続を曲げるのではなく、その趣旨を深めるために行う姿勢は、共感を得やすい。
前述した裁判官面談などでも信用を得ていた場合、「この弁護士に任せてみよう」としてくれる裁判官も結構いると感じる。
裁判官がひとまずは質問を仕切って、その時に上手く話せなかった部分や、情報が不足してしまって十分な意味が伝わってない危険性がある場面でも、弁護士から質問してフォローするのは重要だ。
裁判官はひと通り質問した後で、付添人から質問がないかと聞いてくれることが通常なので、ここは変にカットインせずとも機会がもらえることが多い。これまでに聞いてきた文脈やエピソードなどについて、少年に思い出させるように問いかけをし、語ってもらう。
少年審判の本質は「家族のチーム戦」

時には、少年ではなく保護者側でフォローを考えるのも戦略的だ。そもそも、少年は未熟なのである。大人の期待に完璧に答えられるものが備わっていたら、少年事件の手続にはなっていない。少年事件は、何もすべて自分で理解して解決することまで求められるわけではない。
もちろん、自分で理解した対応できるようになっているのは理想形だが、少年審判はあくまで、今後必要な手当がどの程度かを図る場面であって、その時点で少年本人に完璧さを求められるものではない。親が、少年の特性を踏まえて問題に必要な対応をできるのであれば、十分に少年院などの重い処分の必要性は減らせるのである。
だから、少年への質問において発見された問題点や欠点について、裁判官による親への質問で十分に振られていない、あるいは漏れてしまったところが出たら、弁護士からの質問の中で、答えが出てくるようにボールを投げてあげると良い。少年審判で求められているのは、家族というチーム戦での評価なのである。
それでも、事前の準備だけではカバーしきれない想定外のやり取りは起こる。かつて私は少年に、人が犯罪に至るメカニズムや、事件において自分を犯罪へと駆り立てた要因を自らの言葉で分析するための考え方と言葉を教えた。しかし、これがやや応用編すぎて、本番で少年が丸暗記教科書を読むような話し方になってしまったのだ。
当然、そこから発展するような裁判官の質問に対しても、少年は覚えたキーワードだけで答えようとすため、どうしても会話が噛み合わなくなってしまうのだ。この時は、質問の形式だけでは十分にフォローしきれず、最後に「付添人意見」を述べる段階で補足することにした。
意見書自体はあらかじめ文章で提出しているため、通常はその内容通りで間違いないかを確認されるだけで終わる。しかし私は、その日の審判の流れを踏まえた数点の補足を加えることが多い。この時、少年が想定していたよりも未熟であると感じた私は、どのような処分が適切かについて、事前に書面で出したものより一段と厳しい意見をその場で口にした。
そのうえで私は、少年がどのような思いで言葉を紡ごうとしていたのかを代弁した。当日緊張して表現しきれなかったけど、こういう考えを持っていたのだという部分を語り、あくまで少年としての遇し方をすることだけは忘れるべきでないことを強調した。
連絡がないのが良い便り

ひと通り意見も確認された後で、審判の時間がやってくる。当日、そのまま結論が出るのが通常だ。判決文のために数日時間を空けるのが大人の刑事裁判では多いパターンだが、ここらも手続の違うところである。
なお、大人の刑事裁判でも、当日そのまま判決を言い渡す裁判官も存在はしている。調査官と共に、いったん部屋に戻っていった時などは、あらかじめ面談なども踏まえて感触を持っているとはいえ、やはり緊張する。
私はこれまでの経験では、審判の日、それが試験観察なり保護観察なり、一定の拘束がついていたとしても、少年が家に帰れるパターンしか経験していない。逮捕勾留と少年鑑別所の合わせて2か月ぐらいを、親と離れて暮らしていた少年などは、当日親と一緒に帰れる時、本当にうれしそうだ。そのまま、家族で久しぶりに食事などに行くこともあるようである。
私にとっては、この時が少年や家族との別れにもなってくる。その後連絡を拒否されるわけではないのだが、彼らが順調に生活を取り戻していくほど、犯罪という接点でやり取りしていた弁護士と、再び関わることへの躊躇いが生まれるようだ。連絡がないのが良い便りということなのだろう。幸いにも、再び少年と家庭裁判所で再開してしまったことも、今のところはない。





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