
歌手で俳優の美輪明宏さんが6月20日午前9時30分、老衰のため亡くなったことが所属事務所「オフィスミワ」により公表されました。91歳でした。
事務所は公式サイトで訃報を掲載し、「突然のご報告となりますが、弊社所属の歌手で俳優の美輪明宏が、六月二十日午前九時三十分、老衰のため九十一歳で永眠いたしました」と伝えています。通夜・告別式は本人の意向により近親者のみで既に執り行われており、お別れ会や偲ぶ会の予定は設けない方針も明らかにされました。
事務所によれば、この1年ほどは高齢のため仕事を抑え、体力の回復に努めていたということです。約3カ月前に体調を崩してからは自宅で静養し、最期は家族に「ありがとう」と感謝の言葉を述べて静かに息を引き取ったと説明されています。都内で営まれた告別式では、本人が好んだ黄色いバラが祭壇を飾り、棺には長年応援してきたファンからの手紙が納められたと報じられています。
美輪さんは長崎県出身で、国立音楽大学附属高校を中退後、16歳でプロ歌手としての活動を開始しました。銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」を拠点に、クラシックやシャンソン、タンゴ、ラテン、ジャズと幅広いジャンルを歌いこなし、戦後の日本歌謡界で異色の存在として注目を集めました。1957年には「メケメケ」がヒットし、日本におけるシンガーソングライターの草分けとして「ヨイトマケの唄」など多くの楽曲を自作、自演してきました。
2012年には、第63回NHK紅白歌合戦に77歳で初出場し、史上最高齢の初出場歌手として「ヨイトマケの唄」を披露したことでも話題になりました。俳優としては、寺山修司の「演劇実験室天井桟敷」に参加し、舞台『毛皮のマリー』『黒蜥蜴』などで妖艶かつ耽美な世界観を体現、戦後日本演劇史に独自の足跡を残しました。スタジオジブリ作品『もののけ姫』『ハウルの動く城』では声優としても存在感を発揮し、テレビ番組『オーラの泉』ではスピリチュアルな語り口で「この世のすべての問題を解く鍵は愛」と訴え続けました。
長崎から銀座、紅白へ 多彩な表現で時代を映した半生
美輪さんの人生は、戦争体験を抱えて成長した世代として、戦後日本の価値観の変化とともに歩んできた半生でもありました。長崎での幼少期に原爆投下と戦後の混乱を経験したことは、その後の「愛」や「生き方」をめぐるメッセージに深く影響を与えたとされています。
1950年代から1960年代にかけては、銀座「銀巴里」での歌手活動と並行して、ジェンダーやセクシュアリティの既成概念を揺さぶる「中性的な存在」として多くの若者の心をつかみました。自作曲「ヨイトマケの唄」は、労働に従事する母親の姿を描いた物語性の高い作品で、差別用語を含む歌詞が議論を呼びながらも、再評価を経て社会的弱者へのまなざしを示す歌として長く歌い継がれました。
演劇の世界では、江戸川乱歩原作の『黒蜥蜴』などで独自の美意識を体現し、「美輪明宏の世界」とも言うべき美学を確立しました。その一方で、テレビ番組『オーラの泉』では柔らかな語り口と厳しい人生訓を織り交ぜ、「人間関係の悩みも、戦争や差別も、愛があれば乗り越えられる」と繰り返し訴えてきました。
晩年は活動をセーブしながらも講演や著作を通じて「生き方」に関するメッセージを送り続け、所属事務所は生前の直筆メッセージを公開し、その中で「この世のすべての問題を解く鍵は愛」との言葉を改めて紹介しています。訃報が伝えられてから、ネット上やメディアでは、多くのファンや関係者から「言葉に救われた」「美輪さんの歌とメッセージが人生の支えだった」といった追悼の声が相次いでいます。





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