
元プロ野球中日投手でタレントとしても幅広く活躍した板東英二さんが7月22日、慢性心不全のため亡くなったことが7月28日、本人の公式サイトを通じて発表されました。享年86歳でした。発表文では、故人の強い希望により葬儀はすでに家族のみで執り行われたことが明かされています。
板東さんは旧満州(現在の中国東北部)生まれで、5歳のときに家族とともに日本へ引き揚げ、その後は徳島県で育ちました。中学時代から野球に打ち込み、進学した徳島商業高校では1年生からエースとして活躍し、投手として頭角を現していきます。転機となったのは1958年、3年生として出場した夏の全国高校野球選手権大会(甲子園)でした。準々決勝の魚津高校(富山県代表)戦では1試合25奪三振という参考記録を樹立しましたが、試合は0対0のまま延長18回に及び引き分け再試合となりました。この一戦は、同大会から新たに導入された延長打ち切りルールの第1号としても記録に残っています。決勝では山口県代表の柳井高校に敗れ準優勝に終わったものの、板東さんが大会を通じて記録した83奪三振は、現在もなお破られていない大会記録として語り継がれています。
高校卒業後の1959年にプロ野球の中日ドラゴンズへ入団した板東さんは、オールスターゲームに3度出場するなど投手として実績を重ね、在籍11年間で77勝を挙げました。1969年に現役を引退した後は、野球評論家としての顔を持ちながら、テレビの世界でも大きな存在感を発揮していきます。バラエティー番組の司会や歌番組の司会、クイズ番組の解答者など幅広いジャンルで人気を博し、長年にわたりお茶の間に親しまれる存在であり続けました。
俳優としても高い評価、日本アカデミー賞を受賞した代表作
板東さんはタレント業にとどまらず、俳優としても数々の作品に出演し、その演技力で高い評価を得ました。テレビドラマでは平日夜の人気シリーズや、NHKの連続テレビ小説にも出演し、幅広い役どころを演じ分けています。映画では巨匠監督の作品にも出演を果たし、1989年公開の作品では日本アカデミー賞の最優秀助演男優賞を受賞するという栄誉にも輝きました。
野球選手としての輝かしい記録と、芸能界での多彩な活躍という二つの顔を持ち合わせた板東さんの訃報は、長年にわたり同氏を見てきたファンや関係者に大きな衝撃を与えています。今もなお破られていない甲子園の記録とともに、その存在は多くの人々の記憶に刻まれ続けることになりそうです。












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