
過去に嘘をついた「嘘つき」には社会的な汚名が着せられるが、一方で嘘か本当かわからない「妄言吐き」を人々はどう見ているのか。新たな研究では嘘つきの言説よりも、真実を無視する妄言吐きの発言の方が人々は信じやすい傾向があることが示されている。
<目次>
妄言吐きは大目に見られている

「○○にネオナチがいる」や「○○が軍国主義化している」という発言を聞いて「おやっ?」と思ったとしても、あまり自分に関係ないことであればそのまま聞き流してしまうかもしれない。そして次に同じ発言を聞いた時に「そんなこともあるのだろうか」と少しでも思ったとすれば、実はかなり危険な状態にあると自覚したほうが良さそうだ。
デジタル時代においては、誤情報の追跡はますます困難になっている。情報は意図的な欺瞞だけでなく、心理学で「デタラメ(bullshitting)」と呼ばれる妄言によっても拡散されることが多い。
学術的に言えば、嘘つきとは真実を知っていながら意図的に相手を欺こうとする人物のことである。一方、妄言を吐く人は、真実、証拠、あるいは確認された事実をほとんど、あるいはまったく顧みず発言する人物のことだ。
残念ながら虚言癖があり、それが治らない人物がいるのだが、話している当人に発言内容が嘘やでまかせであるという自覚がなくなったら、その話は妄言でありその人物は「妄言吐き」となる。
妄言を吐く人の発言は、たまたま真実である場合もあれば、嘘である場合もある。その特徴は発言者が事実に対して全く無関心であることだ。妄言を吐く人は特定の真実を積極的に隠そうとはしないため、人々は彼らをあからさまな嘘つきよりも寛容に評価することが多いというのである。つまり妄言吐きは大目に見られてしまっているのだ。その妄言吐きに愛嬌があったりユーモラスであったりすると人々はなおさら寛容になってしまうかもしれない。
アメリカの哲学者ハリー・G・フランクファート氏は1986年の論文で、「油断ならないデタラメ理論(insidious bullshit hypothesis)」を提唱し、人々は妄言を嘘ほど厳しくは批判しない傾向があり、妄言は明白な嘘よりも長期的に社会へ大きなダメージを及ぼすことが警告されている。
フランクファート氏は、社会に妄言が増加することは危険であると主張し、妄言を許容することで真実を無視する傾向が助長される懸念に警鐘を鳴らしている。
研究者らはまた、人々は嘘に対してより強く身構えていることを発見した。つまり妄言吐きの発言を評価するよりも、嘘つきの発言を率直に拒否する方が容易であることから、まずは嘘つきを特定して除外する戦略を採用しているのだ。
同じ妄言を何度も聞くと“真実”になる!?

米・ウェイクフォレスト大学の心理学教授であり、『The Life-Changing Science of Detecting Bullshit(嘘を見抜く人生を変える科学)』の著者でもあるジョン・V・ペトロチェリ氏をはじめとする研究チームが今年6月に「Current Psychology」で発表した研究は、妄言が懐疑心を引き起こさないがゆえに、人々の信念に実際により大きなダメージを与えていることを実験を通して検証している。
研究チームは3つの実験を設計し、最初の実験では204人の学部生が42種類の異なる言及を評価した。これらの言及のうち半分は事実であり、残りの半分は完全に虚偽であった。
言及内容の発信者は一般人、嘘つきとして知られる人物、妄言を吐くことで知られる人物のいずれかであると参加者に伝えられた。いずれの人物でもその発言の真偽は半々の割合である。
研究チームは、嘘つきと妄言を吐く人物の具体的な定義を参加者に示し、両者の違いを理解させた。その後、学生たちは各発言が真実である可能性を11段階評価で採点した。
収集したデータを分析した結果、参加者は嘘つきとされる人物が述べた全く同じ発言よりも、妄言を吐いているとされる人物の発言の方が真実味があると評価した。もちろん一般人が最も信頼されたが、妄言を吐く人物は嘘つきよりも有意に信頼されていたのだ。この結果は人々が意図的な嘘よりも妄言が真実である可能性が高いと自然に判断することを示している。
「真実性の錯覚効果(illusory truth effect)」とは、誤った情報であっても、繰り返し耳にしたり目にしたりするだけで、人々がそれを真実だと信じ込んでしまうバイアス(認知の偏り)のことである。情報の繰り返しによってその内容を処理しやすくなるため、脳が「親近感」を「正確さ」と取り違えてしまうことで生じるのだ。
2つ目の実験では、293人の学生がこの真実性の錯覚効果の検証に参加した。
ここでも一般人、嘘つき、妄言吐きが発言したとされる真実と虚偽が半々の割合の発言についてそれぞれの真偽を6段階評価で採点したのだが、一部の言及は2回提示され、また参加者に言及の発言者が誰であるかを告げるタイミングが、言及を読む前と読んだ後に行うバージョンでも行われた。
分析結果によると、参加者が言及を読む前に発言者が示されると、すべてのグループで真実性の錯覚効果が弱くなった。つまり発言者の属性が事前に分かっていればバイアスの影響を受け難いのだ。
しかし告知が言及を読んだ後に行われた場合、大きな違いが生じた。嘘つきグループと一般人グループを評価した参加者は、その言及が真実ではないことを主観的に認識した場合、判断を修正することができた。
対照的に、妄言吐きグループを評価した参加者は真実性の錯覚効果の影響を強く受けた。発言者が真実をまったく顧みないことを知った後でさえ、これらの学生は繰り返される虚偽の主張を真実であると高く評価した。妄言の主張の繰り返しによって、彼らの心はうまく騙され、その主張を信じてしまったのである。
3番目の実験も同様で、虚偽発言の頻度を条件間で同じに保った場合でも、妄言吐きから得た主張は、嘘つきや一般人から得た主張よりも強い真実性の錯覚効果を生み出した。
妄言吐きの同じ発言を何度も聞かされると、それが虚偽の内容であったとしてもさらに強く信じ込んでしまう傾向が確認されたのである。
繰り返し語られるフレーズに警戒

今回の研究結果は、情報源が嘘つきだと認識すると、警戒心や猜疑心が生じて脳がその発言に対し防御態勢をとるが、情報源が妄言吐きだと認識した場合、脳は同じような精神的障壁を築けないことを示唆している。
つまり故意に嘘をついている人間には警戒心が働くが、真偽を無視して“思いつきで話しているだけ”の人物には警戒心が働いてこないのである。逆に言えば我々は故意に嘘をついている人物を案外正確に見分けられるということにもなる。
また妄言が最初に信じられやすいのは、特に初対面の相手の言葉を真実と思い込みやすい「真実バイアス」が機能するからで、最初のうちは疑う理由もないためその言葉をそのまま受け入れがちだからでもある。
ある意味で無邪気で屈託のないイノセントな妄言吐きの発言にどう対処すればよいのか。研究チームは人々が日常会話を評価する方法を変えてみることを提案している。
具体的には人物を前にして「この人は私に嘘をついているのか」と問うだけでなく、「この人は自分が話していることが本当にわかっているのか?」「事実を確認しているのか?」という視点を持つべきであるという。
相手が饒舌に話していたとしても、話している物事について理解が足りていなさそうに思えるケースも確かにある。また疑問点があれば率直に質問してみてもいいのだろう。厄介なのは政治家のスピーチなどの一方通行の言説で、そこで繰り返し語られるフレーズには特に警戒しなければならない。
妄言の悪影響を理解し、見抜き、対抗することは、もはや学術的な課題を越えている。現実の生活での日々の思考、公共の議論、そして民主主義の健全性にとって、妄言の危険性の理解とその共有はSNS全盛時代を迎えた今、喫緊の課題となっているのだ。






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