
2016年7月26日未明、神奈川県相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」に元職員だった植松聖が侵入し、入所者19人を殺害、職員を含む26人を負傷させた。戦後の日本で類を見ない規模の殺傷事件であり、社会に大きな衝撃を与えた。
しかし10年経過した今、事件の風化を懸念する声もある。本記事では相模原殺傷事件から10年を節目に、その後の障害者支援などの法律の変化や今も残されている課題について、長年障害者・高齢者の権利擁護に取り組んできた弁護士にうかがった。
<目次>
障害者をめぐる法律にはどのような変化があったか

津久井やまゆり園では事件の命日を前に、7月25日に追悼式が開かれた。永井清光園長は追悼の辞で「10年という歳月を経てもこの深い悲しみが癒えることはない」と述べ、追悼式では多くの人が花を手向けて追悼した。
事件を機に政府は「再発防止」を掲げて精神保健福祉法を改正し、措置入院となった人への退院後支援を義務化した。死刑判決が確定している植松死刑囚には、大麻の使用歴もあり2016年2月22日に措置入院となったが、わずか10日後の3月2日に退院。その約5か月後に事件を起こしたため「退院後の支援が不十分だったのでは」と議論が広がり、法改正につながった。
植松死刑囚は、犯行前から強い優生思想を抱いていたことでも知られる。犯行動機として「意思疎通ができない障害者は生きる価値がない」という考えを明かしたことは、社会に大きな衝撃を与えた。
だが、優生思想は植松死刑囚だけの問題ではない。かつて日本では、障害のある人に不妊手術を強制した「優生保護法」(※)が存在していた。しかし、2024年には優生保護法をめぐる国家賠償請求訴訟で最高裁が「違憲・国賠を認める」との判断を下し、補償法も成立した。
制度はこの10年で前進したようにもみえる。しかし、福祉の現場ではその変化をどのように受け止められているのだろうか。障害者の人権問題に長年携わってきた高森弁護士に話を聞いた。
(※)優生保護法
1948年に制定された日本の法律で、「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」ことなどを目的として、障害や特定の疾患を理由に本人の同意なく強制不妊手術を認めていた法律。1996年に「母体保護法」へ改正されるまで存続し、この間に全国で約2万5000人が不妊手術を受けた。うち約1万6500人は本人の同意のない強制的な手術。2024年7月、最高裁は同法を憲法違反と判断、国の賠償責任を認める判決を下した。
精神保健福祉法の課題と、旧優生保護法補償の停滞

―― 事件を受けて改正された精神保健福祉法についてですが、現状どのような課題がありますか。
日本はもともと精神科の病床数が突出して多く、入院によって対応する「医療保護入院」の問題が根強くあります。さらに、現在は高齢化が進んでいるため入院者の多くが高齢者を占めています。本来は高齢者福祉の視点で対応されるべき人が、地域に受け皿がないため精神科の病院にいる状態が続いています。
また、精神科医と地域福祉は連動していないことも多く、支援が病院任せになってしまうこともあります。医師一人の判断で何十年も入院が続くという構造は今も変わっていません。施設や病院を出た後の受け皿が少ない現状があります。
現在は、退院後の地域移行を後押しする保険加算制度なども始まってはいますが、実際には「病院側が早期退院を進めたい患者」を福祉につなぐための仕組みという色合いが強いのが実情です。
―― 障害者をめぐる法律では、直近で優生保護法をめぐる最高裁判決があります。先生は愛知訴訟で弁護団事務局長として参加されていたそうですが、対象となる方々への補償は進んでいるでしょうか。
実を言うと、補償はまったく進んでいません。被害者の多くは高齢で、不妊手術の事実自体を知らされていない方や、長年誰にも言えずに隠して生きている方が少なくありません。愛知訴訟の原告も、手術から半世紀近く夫婦の間ですらその事実は話せなかったそうです。親が子に対して手術させていた背景があるため「親が私にひどいことをした」と思っている方もいます。
しかし実際には、障害のある人を「不良」とみなし、不妊手術を親に強いたのは国の制度です。親が悪かったのではなく、制度そのものに問題があったことを知っていただきたいと思います。伝えること自体が、手術を受けた方々にとって救いになるはずです。
ただ、そのためには行政から対象者への積極的な個別通知が不可欠ではあるものの、記録の多くはすでに廃棄されており、対象者の把握すら進んでいません。さらに、なぜこのような優生思想を持つ法律が生まれ、国を挙げて実行されたのかという検証も、まだ道半ばです。
二度とこのような思想を持つ法律が出てこないように、検証を続けていく必要があると考えています。それが優生思想に基づく事件を防ぐ効果にもつながるはずです。
―― 福祉行政に長年携わっている弁護士の視点からこの10年を振り返って、社会が変わっていないと感じる点を教えてください。
インクルーシブ教育の欠如が続いていると感じます。インクルーシブ教育とは、障害の有無にかかわらず、すべての子どもが同じ場でともに学ぶことを目指す教育のあり方です。通常の学級・学校の側を、多様な子どもを受け入れられるように変えていく、という発想が核にあります。必要な支援や専門的なケアは維持しつつ、「まず分ける」のではなく「まず一緒にいる」ことを出発点にする点が特徴です。
この考え方は、2006年に国連総会で採択された「障害者権利条約」で明確に示されました。条約は障害のある人が他の人と平等に、自分の生活する地域社会において、インクルーシブで質の高い教育を受けられることを求めています。日本もこの条約を批准しており、国連の障害者権利委員会は日本に対し、分離された特別支援教育の仕組みを見直すよう繰り返し勧告しています。
幼い頃から障害のある子どもと自然に関わる機会がないまま大人になると、職場や電車などで初めて障害のある人と接した際に、どう接すればよいのかわからなくなります。わからないからこそ優生思想を持ってしまったり、排除の意識につながる可能性があるのではないでしょうか。
障害のある方々に「かわいそう」も「役に立たない」という思想も生まれるべきではありません。結局は相手を一人の人格として見ていないという点ではいずれも同じです。
この10年、優生保護法の最高裁判決という前進はありました。しかし、社会の側にある「大変な人は関わりたくない」という感覚そのものは、事件前とそれほど変わっていないというのが実感です。インクルーシブ教育を普及させていくことは、社会に障害を持つ方々の居場所を作る効果も期待できます。
障害・介護を家庭内の問題にしないためにできること

―― 障害者とのかかわりは、高齢社会が進む日本は認知症患者も増加しており、事件当時よりも身近な課題になってきた側面もあると思います。
生まれた時から障害がある方々だけではなく、認知症によって親の判断能力が低下し、子が退職や休職して認知症介護にあたるケースも増加しているでしょう。
認知症が進行すると意思疎通が難しくなると、周囲からすると「どう接したらいいか分からない」状態になりますよね。この戸惑いの構造は、精神障害や知的障害のある方に対して社会が抱いてきたものと本質的には同じです。
高齢化が進み、より多くの人が介護という形でこうした課題に直面するようになりました。
しかし、介護も障害者との暮らしと同様で「まずは家族で問題を解決してください」という仕組みが大前提となっています。その結果、就学中の子がヤングケアラーになってしまったり、仕事を辞めて親の介護にあたる現実があります。
これは医療的ケア児の送迎を保護者だけに背負わせてきた構図や、精神科病院から退院した後の生活を家族任せにしてきた構図と、まったく同じことの繰り返しです。
本当は、認知症の人がどう地域で暮らしていくかという問題も、福祉政策が積み上げてきた「本人の意思を尊重しながら地域で支える」という考え方がそのまま生きるはずなんです。ところが「認知症は医療の問題」「障害は福祉の問題」と縦割りに扱われてしまっていて知見がつながっていません。
将来、自分の親が認知症になったときに、あるいは自分自身が誰かの助けが必要になったときに「一人で抱え込まなくていい」と思える社会であることが大切です。その土台を築くためにも、障害のある人との共生を考えることは、誰もが安心して暮らせる社会づくりにつながるのではないでしょうか。
高森 裕司(たかもり ひろし)

弁護士。名古屋市生まれ。1999年弁護士登録。登録以来、少年事件、野宿者支援、障害者・高齢者の権利擁護などに取り組み、障害者・高齢者の権利擁護に関わる。愛知県弁護士会高齢者・障害者総合支援センター運営委員会副委員長、青法協あいち事務局長・支部長を歴任、あいち権利擁護ネットワーク共同代表、その他複数の社会福祉法人の理事・監事に就任。


















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