元刑事が語る「説得しない」交渉術|クレーム対応・営業で役立つ相手の心を動かすコミュニケーション

理不尽なクレームや、思うように成果につながらない営業活動。相手とのコミュニケーションに悩んだ経験がある人も多いのではないでしょうか。そんな場面で役立つのが、刑事の現場で培われた交渉・対応の技術です。
今回は、2026年7月24日に開催された日本リスクマネジャー&コンサルタント協会の第144回セミナー「元刑事の『説得しない』交渉術 苦情・営業・仲裁3つの限界点」に参加。苦情・営業・仲裁の3つのテーマのなかから、「苦情」と「営業」に焦点を当て、すぐに実践できる交渉術を紹介します。
<目次>
「説得しない交渉術」とは

講演では、「苦情対応では謝り続けるべき」「営業では頭を下げて感謝を伝えるべき」「仲裁では早く終わらせるために相手を説得すべき」といった、交渉の場で一般的とされる考え方を参加者に問いかけることから始まりました。
講師の榎本氏は、元刑事として培った経験に加え、警察退職後に苦情対応や営業、仲裁の現場で実践してきた経験をもとに、「相手を説得しようとするほど交渉はうまくいかない」と説明しました。重要なのは相手を言い負かすことではなく、相手の話を丁寧に聴き、対等な関係を築くことだと強調します。
また、講演ではニューヨーク市警の人質交渉班の言葉「道具箱にハンマーしかなければ、見るものすべてが釘に見えてくる」を紹介。交渉には一つの手法に頼るのではなく、状況に応じてさまざまな「引き出し」を持つことが重要だと伝えられました。
警察退職後は新型コロナウイルス感染拡大し、自治体コールセンターのクレーム対応を担当したという榎本氏。当時は1日に最大4,000件の問い合わせが寄せられ、オペレーターが泣きながら電話を受けたり、仕事を続けられなくなったりするケースも少なくなかったと言います。
榎本氏は、録音体制の整備や個別対応を進める一方で、一件一件の苦情に向き合い、対応のあり方を模索しました。そのなかで紹介されたのが、シングルマザー同士のエピソードです。
自治体への対応に強い不満を抱く女性と、電話を受けた契約社員。話を重ねるうちに、お互いが高校生の子どもを育てるシングルマザーであることがわかりました。その共通点をきっかけに会話は次第に変化し、「今度飲みに行きましょう」と約束するほど打ち解け、長く続いていたクレームは自然と収束したそうです。
もう一つ印象的な事例として紹介されたのが、怒鳴り声で知られる男性への対応です。
「現場では大きな声を出さないと事故に遭う」と話した相手に対し、榎本氏は職業を探る質問を投げかけました。相手がトラックドライバーだとわかると、「コロナ禍でも物流を支えてくださってありがとうございます」と率直な感謝を伝えます。その一言をきっかけに男性の態度は一変し、それ以降、声を荒らげることはなくなったそうです。
榎本氏は、「謝罪だけでは関係は変わらない。相手の背景や価値観を知り、対等な関係を築くことが大切」と語り、クレーム対応においては相手を理解しようとする姿勢が重要であることを伝えました。
セミナー最後の質疑応答では、「クレーマーからの想定外の質問に、どのように機転を利かせて対応するのか」という問いが寄せられました。榎本氏がその際に挙げたのは、メモを取る習慣です。
A4無地のノートを用意し、マインドマップ形式でワードを記録していくそうです。メモのなかにヒントを蓄積させ、そこからコミュニケーションを生んでいきます。この習慣について榎本氏は、「警察官時代の事情聴取や取り調べの経験が役立っていると思います」と語りました。クレーム・営業どちらの現場でもメモを取る人が驚くほど少ないと言います。
クレーム対応は問題を解決することだけではなく、「人と人との関係づくり」であることが伝わる内容でした。
「20秒オファー」で成果につなげるテレアポ営業

榎本氏は、警察を退職した後、自らも派遣社員としてインサイドセールス(テレアポ営業)の仕事に従事した経験があります。当初は「元刑事が営業なんて」と周囲から驚かれたそうですが、実際に現場へ立つと、職務質問と営業には共通点があることに気づいたそうです。
「職務質問も営業も、最初の数十秒で相手を判断できる」
講演では、その考え方をもとにした「20秒オファー」の考え方を紹介。短時間で商品説明を詰め込むのではなく、「この商品が欲しい」と思う顧客を優先することが重要だと説きました。
また、営業では「買っていただきありがとうございます」と頭を下げることが当たり前とされていますが、榎本氏は少し違った視点を示します。
商品やサービスは、顧客の課題を解決するために提供するものです。だからこそ、売り手と買い手は上下関係ではなく対等な存在であり、「お役に立ててうれしいです」という姿勢で向き合うことが、本来あるべき営業の形ではないかと語りました。
この考え方は、営業を「売り込む仕事」ではなく、「必要な価値を届ける仕事」と捉え直すきっかけにもなります。榎本氏自身も営業経験を通じて、人との向き合い方が変わり、自尊心を取り戻すことができたと振り返ります。「営業とは自己表現でもある」と参加者へメッセージを送りました。
説得しない交渉を支える「7つのアクティブリスニングスキル」

講演の終盤では、「説得しない交渉術」を実践するための土台となる「アクティブリスニング(積極的聴取)」について取りあげられました。榎本氏が紹介したのは、ニューヨーク市警の人質交渉班が実践する「Talk to me(私に話してください)」という考え方です。
交渉というと、自分の主張を伝えて相手を動かすものと考えがちです。しかし、人質交渉の現場で重視されているのは、相手に語ってもらうことだと言います。
「何でもいいので話してください」
この一言で相手が話し始めると、交渉人は最後まで耳を傾けます。相手に十分話してもらうことで警戒心が和らぎ、次第に信頼関係が生まれていくのです。
榎本氏は、この姿勢は苦情対応や営業、職場でのコミュニケーションにも共通すると述べました。相手を論破しようとするのではなく、「どんな背景があるのか」「何を大切にしている人なのか」を知ろうとする姿勢が、交渉を前へ進める第一歩になります。
その実例として紹介されたのが、コロナ禍のコールセンターで対応したトラックドライバーのケースです。
相手は電話口で怒鳴り続ける常連のクレーマーでした。しかし、「現場では大きな声を出さないと事故に遭う」という言葉から職業を推測し、「物流を支えてくださってありがとうございます」と敬意を伝えたところ、態度は一変。それ以降、怒鳴ることはなくなったのでした。
また、クレームの章で紹介されたシングルマザー同士という共通点をきっかけに、対立関係が共感へと変化した事例にも触れました。「人は理解されていると感じたときに、初めて心を開く」と語り、積極的聴取の重要性を改めて強調しています。
そして講演の最後に、榎本氏は「交渉とは相手を説得することではなく、相手と対等な関係を築くこと」と伝えました。
苦情対応、営業、仲裁という異なる場面であっても、その根底にあるのは「相手を理解しようとする姿勢」です。元刑事として数多くの現場を経験してきた榎本氏だからこそ語れる実践的な交渉術は、参加者にとって日々の仕事や人間関係を見つめ直す貴重な学びとなりました。
参考文献(抜粋)
『ネゴシエイター』ベン・ロペス=著(柏書房)
『逆転交渉術』クリス・ヴォス+タール・ラズ=著(早川書房)
『売り込まなくても売れる!』ジャック・ワース+ニコラス・E・ルーベン=著(フォレスト出版)
講師紹介

榎本 澄雄氏(株式会社kibi代表取締役)
元警視庁警部補。麻布署知能犯刑事として自閉スペクトラム症者を被疑者とする事件を担当。署長によるパワハラを内部通報、更迭請求し警視庁を辞職。特別支援教育等の福祉現場に身を置く。著書「元刑事が見た発達障害 真剣に共存を考える」他。薬物犯罪対策など危機管理の講演も行っている。










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