赤字続きの缶メーカーがクラファンで1,000万円を集めるまで――側島製罐・石川貴也が語るブランディングの本質

側島製罐は、愛知県大治町にある創業120周年を迎えた缶メーカー。この度、クラウドファンディング(クラファン)で「社史」を販売し、1,000人から1,000万円を集めた。5年程前までは赤字続きだったという同社は、皮肉にも「こんなにかわいいのに売れない」と半ば自虐的につぶやいたXへの投稿で世に知られるようになった。今回は側島製罐代表の石川貴也氏に「なぜ側島製罐が愛されるのか」そのブランディングの本質を伺った。
<目次>
「誰もが知る会社」でなくても、「応援したい会社」にはなれる
経営理念のなかったBtoB企業
側島製罐は、BtoBの缶メーカーである。一般向けの小売流通は売上の中の一部に過ぎず、そのほとんどは企業向けに販売される。

石川氏が入社した6年前、赤字続きだったという側島製罐には、経営理念がなかった。それまで、「速く安くたくさんつくれ」という指針のみで続いてきた同社。常に相見積もりの対象となり、大手に価格競争で負け続けてきたという。
そのような自社の状況に危機感を抱き、石川氏は「MVV(ミッション・ビジョン・バリュー)」を作ることを決意した。
「宝物を託される人になろう」――MVVから始まった会社の変化
同社がXの次に注目されたのは、石川氏が社員と共に作り上げた、このMVVである。
| Mission「世界にcanを」 Vision「宝物を託される人になろう」 Values「歴史を超える価値をつくろう」「自分の言葉で熱く語ろう」「まっすぐやろう」「高め合うために分かち合おう」「笑顔に全力でコミットしよう」 |
特に、「缶」を「宝物を入れて運ぶもの」と捉えたVision「宝物を託される人になろう」は、大きな反響を呼んだ。
このMVVを掲げてから、価格以外の「選ばれる理由」が生まれた。価格に関係なく「側島製罐から買いたい」と言ってくれる取引先が少しずつ増えていったのである。また、MVVに共感し、「同社のストーリー」のファンとなった人々が入社するようになった。
「何を売るか」より先に、「何者なのか」を伝える
会社そのものに共感してもらうために、どう発信するか
それから5年が経過し、今回のクラファンで1,000人から1,000万円を集める成果につながった。しかも初版が1,000冊以上売れたため、増刷することになったという。

商業出版で全国流通する書籍でも、初版2,000部程度からスタートする作品が大半を占める。このことからも、地方のBtoBメーカーが、自社の社史をクラファンだけで1,000冊以上売ったことが、いかに異例かがわかる。それを実現した理由のひとつが、代表の石川氏の魅力だといえるだろう。
側島製罐の「顔」としてXのフォロワー2万人を抱える石川氏。彼の発信が多くの人々から支持を集める理由は何だろうか。
「嘘をつかないことだと考えています。実は、弊社は今もまだ完全にうまくいっているとはいえませんが、その状況を隠していません。正直に話すことで、応援してやろうと思ってくださる方が現れるのではないでしょうか」
発信において多くの企業が持つ悩みのひとつが、「宣伝すると読まれない」ことだろう。それは石川氏も同じだという。インプレッションが数千から数万に達することが少なくない石川氏でも、クラファンの投稿をすると、明らかに反応が鈍ったと話す。
「日々の気づきや心境などの『等身大の発信』で、自分が何者なのかを知ってもらうしかないんだと思います」
まずは「何者か」が先にあって、「何を売るか」はそのあとにくるのである。
「自分の言葉」で伝え続ける
クラファン開催中、石川氏は毎日長文のメルマガを書いた。また、クラファンのお礼のメッセージも、必ず一人ひとりに向けて書いたという。

そうした時間を、石川氏はどのように捻出したのだろうか。「クラファンの間も業務はきちんとこなし、早朝と深夜に発信や執筆を続けました」
おや、と筆者は思った。実は石川氏、太りやすい体質のため、「早朝に走る」ことがフォロワーの間ではよく知られている。
しかし、このスケジュールでは、走る時間を発信に充てなければ、睡眠時間が確保できない。つまりクラファンの間は走れなかったということになる。
「もしかして太りましたか?」「それはもうテキメンです」
クラファンの成功は、石川氏の体型維持を犠牲にして成立したともいえる。
120周年社史に込めた狙い
「会社の記録」から「缶愛の本」へ
側島製罐のクラファンの注目すべき点は、数字だけではない。返礼品が、「一般に売れにくい品」である社史だったことも注目に値する。
石川氏は「いわゆる会社の歴史だけを書いた本」にはしたくなかった、と語る。
「社員一同、缶好きとして改めて『缶を表現する本』を作りたいと考えたんです」
石川氏の言葉の通り、この本には会社の歴史はほとんど書かれていない。ひたすら缶についての解説やさまざまな人の「缶に関するエピソード」が続く。多くの社員も登場し、働く姿や缶への偏愛が刻まれている。

原研哉、俵万智、中田ぷう。著名人にはどのようにオファーしたのか
もちろん、原研哉(デザイナー)、俵万智(歌人)、中田ぷう(お菓子缶研究家)など、そうそうたる執筆陣の存在も大きいだろう。なかでも原氏は、わざわざ工場まで足を運ぶほどの熱の入れようだ。中田氏も側島製罐120周年イベントに来場し、石川氏と対談している。
一体どのようにして彼らに依頼をしたのだろうか。

「そのまんま、僕らの企画への想いをテキストにして送りました。『缶』のイメージとして、『空(から)』や『空白』があります。中を埋めるのはお客さんです。原研哉さんは『空白』『余白』のイメージで、俵万智さんは短歌の『行間』『余白』。それが、僕らにとっての缶のイメージと重なったんです。この余白という日本人らしい感性や文化を残していきたい、そんな自分たちの企画に参加してほしいとお願いしました」
彼らは皆、側島製罐の社史のコンセプトに共鳴して引き受けてくれたのだろう。
なぜ「社史」が、1,000人から1,000万円を集めたのか
200人の目標を「達成不可能な数字」へ上方修正
当初は「200人・200万円」が目標金額だった。社史は1,000冊刷り、残りは販促で配ればいいと考えていたという。早々に目標は達成し、300冊が売れた。しかし石川氏はそこで満足せず、上方修正を決意した。
「苦労して本を制作した一年間、寄稿してくださった方々のことを思うと、カッコ悪すぎます。目標が低すぎると感じたんです」
石川氏は、「到底達成できない数字」を掲げようと決めた。そこで、圧倒的なインパクトを持つ「1,000人・1,000万円」に決定。もちろん、当初は達成できる自信はまったくなかったという。

「チラシ配り」の想定外の効果
石川氏は、「約70日のクラファンのうち、前半に支援してくれたのは知り合いだけだった」と振り返る。支援者数と支援額は、内輪で集まった500人、500万円のところでピタリと止まってしまった。そこで、最終手段として、名古屋駅でクラファンのチラシを配ることにした。
「僕がSNSの発信やメルマガを狂ったようにやっているのを見て、制作チームのみんなが、自分たちも何かしたいと提案してくれたんです。全員汗だくで大変でした」
6月後半、30度を超える暑さの中でチラシを配る姿をSNSで見た筆者も、心を打たれた。
石川氏は言う。
「チラシを見た人が、クラファンに参加してたかどうかはわかりません。でも、配る姿をSNSで見た人が、ますます応援してくれるようになった。そう感じています」
知人や近所の方が、チラシを一緒に配ってくれた。お店や会社にPOPやチラシを置いてくれた人もいた。SNSに毎日投稿してくれた人もいた。
「今は効率化が大切だと言われますが、そこからは一番遠いところにいたと思います。AIは便利だけど『誰がやっても同じ』になってしまう。それとは真逆の『人の手』のパワーが、1,000人、1,000万円を達成させてくれたと感じています」
これをすれば支持者が増えるというような「魔法の方法」はない。ただ愚直に続けるだけなのだ。
1,000万円達成、その後に何が変わったのか
社史を作ったことによる変化
石川氏いわく、クラファンの達成よりも、社史を作ったことそのものが、社内に大きな変化をもたらしたという。120年記念に社史を作ったことで、社員全員が「缶への愛」と「仕事への誇り」と「先人への感謝」を再認識できた。それはじわじわと社内の空気を変えていっている。

クラファンの本質と石川氏の変化
石川氏自身にも大きな変化があった。以前は自分が積み上げてきた信用を守ろうとするあまり、宣伝をためらう部分があったと振り返る。「最終的には、なりふり構わず行動したことで、結果につながったと感じています」
石川氏は最初、周りの人々がクラファンに協力してくれるたびに「ありがとう」と伝えていた。しかし、彼らの「お礼なんて言わないで。参加できて本当によかった」という言葉を聞き、考えが変わったという。
お礼を言うことは、相手を「当事者ではない」と線引きしてしまうのだと気づいたのである。
「クラファンの本質は資金集めではありません。新しいアイデアや未知の概念を世の中に広めるための共同作業のはずなんです。それまでは『お願いします』と言っていたのを、共感できる想いを丁寧に伝えて『一緒に未来を作りませんか?』と言うようになったんです」
その結果、側島製罐の人々と支援者がワンチームになれた。「共感」が人をつなげる。クラウドファンディングによって、改めてそれを実感するようになったのである。
「応援される会社」は、次に何を目指すのか
周年イベントの熱狂を、一過性で終わらせないために
石川氏は、社史の編纂自体、通常業務から外された人がするものだとする通念や、社会で社史が置かれている境遇そのものに疑問を呈した。
「社史も周年事業も、もっともっと可能性を秘めているはずです」
しかし、それは、テンプレート通りのパーティーを開いたり、自社の歴史を並べただけの社史を作ったりするだけでは見えてこない。
やり方次第でもっとおもしろくできるのに、自らつまらなくしてしまっているものが、世の中にはたくさんあるのではないか。今回の社史編纂で、石川氏自身がそう気づいたと語る。
数十年に一度しか巡ってこない周年は、普段できないことに挑戦し、自分たちの殻を破るチャンスでもあるのだ。
側島製罐が描く未来とこれからの挑戦
もうひとつ、側島製罐が目指すのは、「缶の文化」の継承だ。缶は「宝物を運ぶため」のもの。「宝物って何だろう?」を問い続けていきたいという。
業界を取り巻く環境は決して甘くはない。しかし、缶メーカーに与えられた使命は、缶を安定的に供給し、缶の文化や魅力、歴史を伝え続けていくことだと、石川氏は笑顔で語った。
BtoBの小さな缶メーカーがクラファンによって証明したのは、規模でも知名度でもなく、「何者か」を表現し続けることの力だ。周年を迎える企業だけでなく、すべての企業に訴えかけるメッセージではないだろうか。
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石川貴也氏プロフィール
1986年名古屋市生まれ。新卒で日本政策金融公庫へ入庫。中小企業支援を約10年経験したのち、自分を育ててくれた家業や缶業界への恩返しをするために2020年に側島製罐へ入社。「宝物を託される人になろう」という新たなビジョンを掲げ、缶の価値の探求を続けている。
(取材・文 / 陽菜ひよ子)







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