日本最南端・沖縄刑務所の知られざる歴史と現在。激動の時代を歩んだ矯正の軌跡

日本最南端・沖縄刑務所の知られざる歴史と現在。激動の時代を歩んだ矯正の軌跡

日本最南端の刑務所・沖縄刑務所。本土とは異なる独自の歴史を歩んできた地で、沖縄刑務所もまた、他の刑務所に類を見ない道を辿ってきました。

「沖縄刑務所ならではの特徴とは?」
「激動の歴史の中で、どのように変化してきたのか?」
「受刑者の社会復帰に向けた現在の取り組みは?」

そんな疑問に答えるべく、沖縄刑務所の所長にお話を伺いました。

<目次>

沖縄刑務所の歴史

沖縄刑務所前

沖縄刑務所は、琉球王国時代からの沖縄の歩みを映し出すかのように、波瀾に満ちた変遷を遂げてきました。本土とは異なる独自の歴史と文化が、この地の矯正施設の姿を形作っています。

戦前〜本土復帰に至るまでの沿革

明治32年の沖縄県監獄署(写真提供:沖縄刑務所)
明治32年の沖縄県監獄署(写真提供:沖縄刑務所)

沖縄の矯正施設の始まりは、1879年(明治12年)10月、廃藩置県により沖縄県となって間もない頃にさかのぼります。那覇市東村の天使館(中国の使者を受け入れるための施設)内に沖縄警察本部の沖縄監獄署として創設されました。これは天使館の砂糖倉庫を転用したもので、当初は非常に脆弱な施設でした。

過剰収容もあり、わずか3年後の1882年(明治15年)6月には那覇港近くの小禄間切へ移転。ここでは庁舎や舎房、工場などが整備され、ようやく監獄としての体裁が整います。その後、1926年(大正15年)8月には那覇港拡張のため、那覇市楚辺へと再移転しました。

1943年(昭和18年)頃からは戦時色が濃くなり、受刑者も日本軍の陣地構築や飛行場建設などの軍事作業に従事。戦況悪化に伴い職員家族や受刑者の本土疎開が一部実施されましたが、1944年(昭和19年)10月10日の「十十空襲」で那覇市内は壊滅、刑務所も破壊されます。

沖縄戦終結までの間、職員45名と受刑者31名が権力関係なく助け合い、ガマ(洞窟)などで避難生活を送ったと記録されています。職員家族の多くもまた、苦難を共にしました。

1945年(昭和20年)6月以降はアメリカ統治下に入り、1972年(昭和47年)5月に本土復帰。激動の時代を経て、1979年(昭和54年)3月に現在の南城市へと移転し、現在に至ります。

戦後の刑務所再建

昭和12年の旧沖縄刑務所(写真提供:沖縄刑務所)
昭和12年の旧沖縄刑務所(写真提供:沖縄刑務所)

終戦後、施設を破壊された沖縄刑務所はゼロからの再建を強いられました。

1946年(昭和21年)頃、旧刑務所の職員5名が再建協議を開始。当時は各警察署が刑務行政を兼務していましたが、予算難のため破壊された刑務所の再建は困難でした。アメリカ軍に援助を申し出たところ、米軍部隊が使用していた南城市佐敷の施設を改修することが許可されます。

旧職員たちは家族の反対を押し切り、安月給の刑務官として再結集。自分たちで資材を調達し、全職員による3ヶ月に及ぶ重労働の末、同年4月20日、沖縄中央刑務所として佐敷の施設が完成しました。

この時期、沖縄では警察署が刑務行政を兼ねた「ミニ刑務所」として機能するケースもありました。自給自足がメインで、畑を耕したり船で魚を獲ったりして食料を確保。村の行事に参加するなど地域社会に溶け込み、受刑者も食料難の中で一生懸命働き、職員との関係も良好だったと記録されています。

タバコを禁じると逃走の恐れがあったため受刑者の喫煙を許可していたり、女性受刑者が生理用品を取りに自宅へ一時帰宅したりするなど、現在では考えられない「ゆるやかさ」も当時の特徴でした。

その後、ミニ刑務所は統廃合され中央刑務所へ集約。1950年(昭和30年)8月には、破壊された那覇の施設(那覇刑務支所)を「沖縄刑務所」、佐敷の施設(沖縄中央刑務所)を「沖縄刑務支所」と改称し、少年や女子受刑者を支所に残し、成人男子受刑者を本所へ移送するなど、収容体制が再編されていきました。

本土復帰後の変化

昭和34年の旧沖縄刑務所(写真提供:沖縄刑務所)
昭和34年の旧沖縄刑務所(写真提供:沖縄刑務所)

1972年(昭和47年)5月の本土復帰は、沖縄刑務所の運営に大きな変化をもたらしました。

地理的条件や予算、保護等の事情から、沖縄刑務所では長らく収容分類が未整備でした。現在でも、初犯を示すA指標と累犯を示すB指標の男子受刑者が混在して収容される、日本で唯一の刑務所です。

長期刑や少年、女子受刑者は本土の他施設へ分散収容されますが、沖縄出身の受刑者が多いため、本土移送による家族の面会負担を考慮し、地元収容が重視されてきた側面もあります。

刑務作業も時代とともに変化しています。復帰前にはサトウキビ畑の刈り取り作業に受刑者が従事する「通役」がありましたが、ハブ被害などもあり復帰を機に中断。その後、一時的に再開されたものの、現在は廃止されています。

刑務所暴動事件

暴動時の記録(写真提供:沖縄刑務所)
暴動時の記録(写真提供:沖縄刑務所)

沖縄刑務所の歴史の中でも特筆すべきは、1954年(昭和29年)11月7日に発生した大規模な暴動事件です。アメリカ統治下で起きたこの悲劇は、当時の刑務所が抱えていた深刻な問題を浮き彫りにしました。

暴動の主な原因は、まず「過剰収容」でした。定員526名に対し、実に951名もの受刑者が収容されており、定員の約2倍という異常な状態でした。さらに、給食の質の悪さも受刑者の不満を募らせました。戦後の復興期にあっても、沖縄は破壊し尽くされており、琉球政府の政策はインフラ整備に重点が置かれ、矯正施設の拡充や給食の改善は後回しにされていました。栄養バランスが崩れた献立が提供され、受刑者の不満は募る一方でした。

職員不足も深刻で、定員153名に対し20名の欠員があり、刑務官1人あたり約8名の受刑者を担当するという、現在では考えられない負担でした。職員組織の弱体化も相まって、事件発生時には組織力が機能せず、受刑者に主導権を握られる事態となりました。

また、刑務官による私的制裁の横行も暴動を誘発しました。職員の人権意識が欠如し、軍隊式の懲戒の影響が残っていたこと、職員研修の不足なども原因とされました。さらに設備や戒具の不備も問題で、金属手錠以外の戒具がなかったため、制圧手段が限られ、私的制裁に頼る傾向があったとされています。これは琉球政府主管のため、本土のような法務省による体系的な整備が遅れていたことも影響していました。

これらの複合的な要因が重なり、受刑者の不満が爆発。大規模な暴動へと発展し、沖縄の矯正史に大きな教訓を残すことになりました。

矯正一筋40年。沖縄刑務所の所長が歩んだ道のり

沖縄刑務所所長

沖縄刑務所の所長は、1984年(昭和59年)4月1日付けで札幌刑務所にて拝命以来、長年にわたり矯正の道を歩んできたベテランです。北海道札幌市出身で、九州矯正管区での勤務は沖縄刑務所が初めてとなります。日本の他地域とは異なる独自の文化を持つ沖縄で、所長としての任をどのような思いで担っているのでしょうか。

所長のこれまでの経歴

所長のキャリアは、札幌刑務所から始まり、実に18回もの転勤を経験しながら全国各地の矯正施設を渡り歩いてきました。沖縄刑務所長に着任したのは2023年(令和5年)4月1日です。

沖縄刑務所以前の直近の経歴を見ると、2022年(令和4年)4月1日付で広島刑務所の総務部長を務め、その前年には中国矯正管区において、不服申し立てや職員の不祥事対策を担当する首席管区監査官を務めていました。

さらに遡ると、中部矯正管区、北海道矯正管区で総務課長を歴任。2018年(平成30年)4月1日には松本少年刑務所の処遇部長を務めるなど、全国の矯正施設で要職を経験してきました。

沖縄刑務所に来て感じた印象

沖縄刑務所外観

これまで多くの施設を見てきた所長ですが、沖縄刑務所に着任する前は、沖縄に対して独特なイメージを持っていたのだそう。「北海道で拝命して沖縄の所長をやるなんて思ってもみなかった」と振り返り、当初は「沖縄は本土と違う」という漠然とした感覚があったといいます。

ところが、実際に沖縄刑務所に赴任し、沖縄の人々と接するなかでその印象は大きく変わりました。沖縄の人は皆おおらかで優しく、「沖縄タイム」とも言われるゆったりとした時間感覚の背景には、温和で素直な人柄があると感じているといいます。

また、沖縄刑務所ならではの特徴として、刑務官の約9割が沖縄出身者であることが挙げられます。受刑者も沖縄出身者が多いため、職員と受刑者が知り合いというケースも少なくありません。そのような場合には、所内で直接接触しないよう配置を工夫するなど、細やかな配慮が求められます。

受刑者の社会復帰に向けて

沖縄刑務所の外塀(写真提供:沖縄刑務所)
沖縄刑務所の外塀(写真提供:沖縄刑務所)

沖縄刑務所は、その独自の歴史を乗り越え、現代の矯正施設として受刑者の社会復帰支援に力を入れています。特に近年は、全国的な矯正改革の波を受け、社会に近づけた処遇を大きなテーマとして、さまざまな工夫を凝らした取り組みを展開しています。

名古屋刑務所事件の影響

沖縄刑務所の受刑者の居室

受刑者処遇のあり方を大きく見直すきっかけとなったのが、2022年(令和4年)8月に発覚した「名古屋刑務所事件」です。これは、刑務官22名が精神疾患を持つ受刑者3名に対し、暴行や不適正な処遇を行っていたという痛ましい事案でした。

この事件を受け、法務省矯正局は有識者による第三者委員会を設置し、再発防止策を検討。その提言を受けて、約50にも及ぶ「アクションプラン」を策定しました。これにより、全国の矯正施設で抜本的な改革が進められることになります。沖縄刑務所も例外ではなく、このアクションプランを積極的に取り入れ、職員の意識改革と処遇の改善に努めています。

拘禁刑導入による取り組み

2025年(令和7年)6月1日に施行された拘禁刑の導入も、受刑者処遇を大きく変えるきっかけとなりました。拘禁刑の導入は、名古屋刑務所事件を受けたアクションプランと時期をほぼ同じくしており、矯正の現場に新たな時代をもたらしています。

沖縄刑務所においても、拘禁刑導入に伴い、アクションプランで示された具体的な施策を導入しました。受刑者を「さん付け」で呼び、軍隊的と称されたこれまでの行進も廃止されました。当初は「一度緩めるとまた厳しくするのが大変」といった現場からの意見もありましたが、所長は「人として対等に接する」というダイナミックセキュリティ(動的保安)の考え方に基づき、その重要性を強調しました。

ダイナミックセキュリティとは、職員と受刑者との良好な人間関係を通じて保安を確保しようとするものです。静的保安(監視カメラなど)や、手続き的保安(差し入れ確認など)と並ぶ保安の柱として、その効果が期待されています。

「さん付け」を導入して約1年が経ちますが、刑務官の間ではもう「呼び捨てできない」という感覚が生まれているといいます。言葉遣いも自然と「〇〇さん、こうしましょう」と柔らかいものになり、この変化が職員と受刑者双方の人権意識向上につながり、良好な関係構築に寄与していると手応えを感じています。

高齢者・福祉的支援が必要な受刑者の処遇

拘禁刑の導入によって「矯正処遇過程」も細分化されました。沖縄刑務所では10の処遇過程が設けられていますが、特に難しいとされるのが、高齢者や福祉的支援が必要な受刑者(D指標)への処遇です。これらの受刑者は精神的・身体的疾患を抱えていることも多く、沖縄刑務所では現在、1つの工場内でこの3つの処遇過程を混ぜて運用する試みを行っています。

高齢者への処遇では、作業が5割、改善指導が5割。知的障害や発達障害、精神障害を持つ受刑者へは作業が7割、改善指導が3割と、それぞれ異なる比率で処遇を展開しています。工場には准看護師の資格を持つ刑務官を含む担当者を2名配置し、高齢者担当と福祉的支援担当が連携して対応。塗り絵や折り紙、間違い探しといった認知症予防や機能改善を目的としたプログラムを実施するなど、まるでデイサービスのようなきめ細やかな処遇が行われています。

作業療法士などの外部専門家を招くこともあり、以前の刑務所では考えられなかったような取り組みが、沖縄刑務所では実践されているのです。わずか数ヶ月前と比較しても、工場内の様子は大きく変化したと所長は語ります。

自主性・社会適応能力の改善向上

見返りのシーサー(写真提供:沖縄刑務所)
見返りのシーサー(写真提供:沖縄刑務所)

協力雇用主(元受刑者の採用に協力する事業者)からの「出所者は指示待ちが多い」という意見を受け、沖縄刑務所では受刑者の自主性や社会適応能力を高めるための新たな試みを始めています。

現在、1工場内で紅型染め・革製品・漆喰シーサー・だるまの4種類の製品を製造している沖縄刑務所。この工場内を製品ごとに色分けし、受刑者もその色の帽子を被り、チームをわかりやすく可視化しています。

各チームの班長には、同チーム内の作業指導であれば許可なく行える運用とし、一定の制限下で社会に近い自由度を促進しています。異なるチームへの移動時には刑務官への申し出が必要というルールを設けることで、保安面の効果も両立させています。この試みはまだ1ヶ月足らずですが、受刑者が自ら考え、行動するきっかけとなることが期待されています。

所長は、こうした新しい取り組みを進めるうえで、職員への丁寧な説明と理解の促進を重視しています。中央からの指示を一方的に押し付けるのではなく、なぜこの施策が必要なのか、どのような効果が期待できるのかを十分に説明し、職員1人ひとりの理解度を確認しながら進めていくことが、沖縄の職員の素直な気質を活かし、改革を成功させる鍵だと考えています。

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<TEXT/小嶋麻莉恵>

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