
フリーアナウンサーの久米宏(くめ・ひろし)さんが2026年1月1日、肺がんのため死去しました。81歳でした。所属事務所のオフィス・トゥ・ワンが1月13日、公式サイトで発表しました。埼玉県出身の久米さんは、葬儀を近親者のみで執り行った後、静かに旅立ちました。
久米さんは早稲田大学卒業後の1967年にTBSにアナウンサーとして入社しました。当初は激務と極度のあがり症で体調を崩し、結核を患うなど苦労しましたが、1975年から司会を務めたクイズ番組「ぴったしカン・カン」で全国的に有名になりました。1978年からは黒柳徹子さんとコンビで音楽番組「ザ・ベストテン」の司会を担当し、最高視聴率41.9%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録する国民的番組に成長させました。情報量が多い早口の司会と生中継の多用で、音楽番組のスタイルを一新したことで知られています。
1979年にTBSを退社しフリーに転身した久米さんは、1985年10月からテレビ朝日系報道番組「ニュースステーション」のメインキャスターに就任しました。「今までにない全く新しい報道番組を目指す」「中学生にも分かる」という信念のもと、歯に衣を着せぬコメントと政権と距離を置くスタンスで、民放の新しい報道番組の常識を覆しました。アナウンサー出身ならではの分かりやすい解説と、親しみやすいフランクな口調は当時の報道番組には珍しく、平均視聴率20%近くを維持する同局の看板番組に成長させました。18年半にわたるキャスター時代には、埼玉県所沢市のダイオキシン問題などで報道姿勢に批判を浴びることもありましたが、視聴者からの支持は揺るぎませんでした。
2004年3月26日、4795回の放送を終えて番組は幕を閉じました。最後の放送で久米さんは「戦争を知らず、ミスリードしたことのない民間放送を愛しています。これからもないことを祈ります」と放送業界の未来にエールを送りました。その後はTBSラジオ「久米宏 ラジオなんですけど」やテレビ特番などに出演し、自由な物言いとスタイルを貫き通しました。2020年6月にラジオ番組が終了した後も、Kume*Netなどで活動を続けていました。
新しい報道番組のスタイルを確立
「ニュースステーション」の革新は、報道番組のあり方を大きく変えました。久米さんは小道具を活用した斬新なスタジオ演出や、わかりやすい言葉使いで視聴者に親しまれました。特に政権への批判もいとわないジャーナリズム精神は、視聴者から支持された一方で、政治家などから批判を浴びることもありました。1999年の埼玉・所沢のダイオキシン報道では地元農家から提訴され、番組で謝罪する事態となりましたが、この姿勢こそが久米さんの番組の真価でした。
久米さんの司会者としての活動は高く評価され、優れた放送番組や制作者を表彰するギャラクシー賞でテレビ部門とラジオ部門の両方を受賞しています。最期を看取った妻・久米麗子さんによると、臨終に際して久米さんは好物のサイダーを一気に飲み干し、息を引き取ったというエピソードも伝えられています。黒柳徹子さんは「あなたは本当の親友」「いつか会える時が来たら続きを…」とコメントしています。大学時代からの親友である田中真紀子さんも「ショック。くめっちんはテレビに引きずられたのだと思います」と述べ、久米さんの死を悼みました。
日本のテレビ史に深い爪痕を残した久米さんの語り口と思想は、今も多くの人の心に刻まれています。「精神はチンピラでいようと思ってやってきた」と自らのスタンスを説明した久米さんの言葉は、これからも私たちの中で生き続けるでしょう。












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