ライティングコンテスト東京報道新聞賞作品

私は「都会で電車に乗る」ということを甘くみていた。

自宅から2分で通学できた高校時代、バスにさえ乗らなかったにもかかわらず、大学に上京して、自宅から2時間かけて大学のキャンパスに通うことになった。東京といえども共通言語は日本語。わからないことがあれば聞けばいいし、もう18才という成人間近なんだからそれほど難しいはずがないと鷹をくくっていたが、「都会で電車に乗る」ことには特殊な能力が備えられていなければ、易々とできることではないという現実に私はまだ気が付いていなかった。

まず最初に必要なのは、どんなに混雑した電車でもぎゅうぎゅうにつめこまれた電車内の床に自分の靴を滑り込ませるスペースをみつけ、そして押し込む能力が必要だった。

朝の山手線。1分ごとにやってくる電車。しかしどれも乗車率が200%。次こそはすいているかもと何本も電車を見送るが毎分ごとに満員の電車に絶望し、もう次には絶対乗り込むと大きな決意をして乗り込んだ。お昼おやつに食べようとしていたみかんが鞄の中で潰れた。もうそんなものは二度ともっていくまいと心に誓った。

そして次に必要なものは、群衆に向かって反対方向の流れに合流する能力だ。新宿駅という大きなターミナル駅での電車の乗り換え。都会の雑踏、人ごみという群衆がこちらにむかって絶え間なくやってくる。その合間を縫って反対方向の流れに乗らなければ次の電車に乗り継げない。大きな川の流れを逆流して泳ぐ鮭のごとく激流を進まなければならないのだ。

しかし、私はどのタイミングで一歩を踏み出していくのか、タイミングがうまくとれない。まるで大縄跳びでぐるぐると縄がまわっているのに、うまく縄の中に入れなかった運動神経の悪い小学生の頃の記憶が駆け巡った。縄の中に入ろうとするがぶつかることが怖くなり一歩も踏み出せなかった。しかし、3つ上の東京歴4年目の姉から貴重なアドバイスをもらっていたのである。

「逆流していく人の後ろをついていけ」

私は同じ方向に進もうとするその人の後ろを、コバンザメのように背後に小走りで近づき一緒に激流を逆流する。するとどうだろう。モーゼの十戒のごとくその大勢の人波という激流の合間に小さな回廊が現れ、だれともぶつかることもなくホームに到着できたのだ。

そして最後に必要なものは、降りる駅の近くで目を覚まし、そして車窓の景色から今自分がどのあたりにいるのかということを判断する能力だ。

私の乗る小田急線は、とある駅で電車が前の8両と後ろの4両が別の行き先になるという謎のトランスフォーマーのような電車だったのだ。長距離なので空いている席がなく途中の駅で乗り換えようと思って座り込み、朝早起きなのもあって眠り込む私。気が付いたら前の8両にのって全然別の方向に向かっていた。

かと思えば、乗り過ごしたと思いきや、自分が今どの駅にいるのかということがわからず、焦って乗り換えの駅より一つ前の駅で 寝ぼけて慌てて降りたこともあった。

しかし、日々試行錯誤を繰り返していくうちに、どんなに電車が満員でも小さな隙間に足をかけ、さっと体をねじ込み、新宿駅の人波をコバンザメではなく、独り立ちしてスマートに逆方向の流れに乗り、そして、眠っていてもトランスフォーマーを遂げる駅の直前で目がパチッと覚め、今自分がどこにいるか瞬時に判断するという特殊能力を身につけていったのだった。

電車に乗りなれた都会の人なら考えなくてもできることなのかもしれないが、18年間電車で通学することもなかった私にとって新生活の大きな障壁となっていたのだが、日々試行錯誤を繰り返し、失敗を重ね、すべての特殊能力を身につけられたと感じた。

「都会で電車に乗る」ひと言でいえば簡単だが、私の中でのこの三ヵ条をクリアできたとき、ようやく新生活に慣れたと思えた瞬間だった。

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