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女神のような貴女
- 2023/7/25
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- 佳作, 第2回ライティングコンテスト
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「漆原さん、私が貴女を誰にも文句言わせない接客スキルを付けさせるから」
私が15年以上パートとして働いていた、ファーストフード店の先輩の言葉だ。私は彼女が居たから仕事を続けられ、店内一の店員になった。そして彼女のように、同僚を導いてあげる事に全力を尽くせたのだ。
私が彼女と出会ったのは、次女が幼稚園入園を機にパートを始めた20年以上前の事。学生の頃に同業他社でバイトしていたので、システム化された仕事内容に、最初は問題なかった。そのお店で幅を利かせていた怖い先輩主婦にも、「使えそうな人が入ってきたわね」と言ってもらえた。しかし或る日、「お持ち帰り商品の入れ忘れ」を繰り返してしまった。
「ミスばかり繰り返す人は邪魔だから辞めろ!」
お客様の前で、怖い先輩主婦に大声で怒鳴られてしまった。余りの怖さとショックで涙が出てしまい、表に出せないと言う事で、そのまま厨房の洗い物担当に回された。
帰宅してからもショックは消えず、「怖くて店に行けない。言われた通り、もう辞めようかな」と思っていた時、電話が鳴った。出てみると、怖い人と同じ階級(マネージャー)の「Yさん」だった。彼女が私を変えてくれた女性だ。
「漆原さん、あの人に酷く怒られたと聞いたのだけど大丈夫?彼女、誰に対しても直ぐ怒るから気にしないでね。私も慣れない頃は凄く怒鳴られたから」
「Yさんは凄く仕事が出来る方だから、怒られた事なんてないと思っていました」
「いや、凄く怒鳴られたよ。元々あの人に気に入られてなかったみたいで、他の誰よりも怒られたよ。漆原さん、辞めちゃうなんて言わないよね?もし続ける気が有るなら、私が貴女を誰にも文句言わせない接客スキルを付けさせるから」
Yさんは私を励ますと同時に、奮い立たせてくれた。彼女は優しいが、芯が有る女性だと他の人から聞いていた。私は彼女に付いていこうと思った。
「Yさん、宜しくお願いします」
私は電話口で答えながらお辞儀をしていた。次のシフトから、なるべくYさんと同じ時間帯になるよう配慮してもらい、仕事の合間に指導してもらう事になった。彼女は優しいが仕事に妥協は許さない人だったので、指導もかなり厳しかった。
お辞儀の角度から言葉遣い、仕草、周りを見て状況を把握する力等など、全ての項目において「いい加減」は許されず、「完璧」である事を望まれた。だが「愛」の有る指導なのは私にも伝わっていたので、全く辛いと思わなかった。同じ事を何回も教わらない様、帰宅してからも毎日復習した。
相変わらず怖い先輩主婦は、「あの二人が組んだところで、碌な事は出来ないでしょ」と、私達を冷ややかな目で見ていたが、そんな視線を物ともせず、私達は必死に「店内一」を目指した。そしてYさんに指導してもらっているうちに、「私もいつか、Yさんのような指導者になりたい」と思うようになった。
気付けば私は店内一の接客スキルは勿論の事、他業務全般もこなせるようになっていた。支店対抗の接客部門に店代表として出場し、好成績を収める事も出来た。全てYさんのお陰だった。「これからもずっと彼女と一緒に仕事をして、もっとお店を盛り上げたい」と、思っていた。だが数か月後、彼女は体調を崩し入院する事になってしまった。
「Yさん、元気になったら又戻ってきてくれますよね?」
「ごめんね、戻れないの。ちょっと病気がやばいから。病院も地元じゃないところだしね。お見舞いも遠慮する事にしたの。だからもう会えないけど、漆原さんならもう大丈夫!これからは貴女が助けてあげる番だよ」
彼女はそう言ってお店を去っていった。目標にしていた彼女が居なくなった事は、かなり寂しく心細かった。だが、「Yさんに教えられ、託された事をきちんと伝えていかなければ」と、誓いを新たにした。
その後、一人の主婦がパートとして入ってきた。彼女は他の人より動作が遅く、皆から煙たがられていた。バックヤードで落ち込んでいる姿を見た時、数年前の自分と重なった。私は思わず「大丈夫?色々言われるかもしれないけど、気にしないでいいよ。貴女が良かったら、私が精一杯面倒見てあげる!」と言っていた。
「本当ですか?漆原さんがそう言ってくれるなら、私、頑張ってみます!」
彼女は嬉しそうに、そう答えた。
「Yさんが私に与えてくれた事を、彼女にも与えてあげたい」
私は心から思った。覚えが今一つの彼女だったが、メモを片手に一生懸命ついてきてくれた。時には声を荒げて、「こらぁ!まつむらぁ!」と言った事も有ったが、彼女はそれすら嬉しそうに、「そうやって一生懸命に怒ってくれると、やる気が出ます!」と言っていた。
2年以上経った頃、人より少々時間は掛かったが、漸く彼女も全てにおいて独り立ちできるようになった。彼女が嬉しそうに「漆原さんのお陰です。有難う御座います」とお礼を言ってきた。それが私も凄く嬉しく、心の中で「私もYさんに少しは近づけたかな」と思った。
それから数年後。私は引っ越しを機に、このお店を辞めた。それ以降、お店に寄る事はなくなってしまったが、去年、彼女からメールをもらった。そこにはこう書かれていた。
「マネージャーに昇格しました。私が人を指導する立場になったなんて凄くないですか?これも漆原さんが、『こらぁ、まつむらぁ!』って言いながら、私を指導してくれたお陰です(笑)。本当に有難う御座いました。もし店に来る事が有ったら声を掛けてくださいね!」
読みながら涙が出そうになった。彼女がそんな立派になったなんて。感無量とは、こう言う事を言うのだろうか。私が彼女を育て上げられたのも、Yさんが居たからだ。彼女は私を励まし、育て、導いてくれた「女神」のような人だった。会えなくなってしまった「女神」に、心の中で「有難う御座いました」と呟いた。
ライター名:漆原 香里(うるしはら かおり)