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- 150年の歴史に幕。宮崎刑務所「最後の所長」が語る矯正現場のリアル

宮崎県宮崎市の郊外に佇む宮崎刑務所。約150年という長い歴史を持っていますが、間もなく幕を下ろそうとしています。
「宮崎刑務所ならではの特徴は?」
「なぜ廃庁してしまうの?」
「受刑者の生活や刑務官の仕事は、今どうなっているんだろう?」
そんな疑問に答えるべく、廃庁を見届ける「最後の所長」である宮崎刑務所の福吉所長にお話を伺いました。
<目次>
宮崎刑務所の概要

宮崎刑務所は、宮崎県宮崎市にある法務省矯正局の九州矯正管区に属する矯正施設です。宮崎空港から車で約30分、のどかな田園地帯に位置しています。昭和51年(1976年)に現在の場所へ移転してから約半世紀が経過しており、外壁の改修などが進められているものの、施設全体に歴史を感じさせます。
宮崎刑務所の沿革

宮崎刑務所の歴史は、明治7年(1874年)に宮崎市大島村の廃寺跡に「宮崎懲治場」として設立されたのが始まりです。その後、西南戦争で施設が損壊したため、明治18年(1885年)に、当時の宮崎市の中心部に近い場所へ移転。大正11年(1922年)に現在の「宮崎刑務所」という名称に改称されました。

しかし、昭和30年代後半から市街地化が進むにつれ、「街の一等地にあるのは好ましくない」として、市から移転の要請が繰り返されるようになります。昭和42年(1967年)に、工場で大規模な火災が発生したこともあり、移転が決定。昭和51年(1976年)に現在の場所へと移転し、現在に至ります。


かつての刑務所は、公共交通機関が未発達だった時代背景から、受刑者の護送の利便性を考え、駅の近くなど交通の要所に建設される傾向がありました。しかし、都市化が進んだ現代では、刑務所は街の中心部から離れた郊外に建設されるのが一般的です。宮崎刑務所の移転の歴史は、まさにそうした都市発展と矯正施設の立地の関係性の変化を象徴していると言えるでしょう。

宮崎市の中心部の近くにあった宮崎刑務所跡地を所長直々に案内していただきました。
今では公民館や体育館、公園などの公的なスペースになっていて、この場所にまさか刑務所があったとは想像もできないでしょう。

ご覧の通り、広々とした敷地は公園などになっていて、今では地元民の憩いの場になっています。旧宮崎刑務所の歴史を知る人は、おおよそ所長の年代以上の人に限られ、歴史を知る人物は少ない。
宮崎刑務所ならではの地域性
宮崎刑務所の大きな特徴として、その「地域性」が挙げられます。温暖な気候と穏やかな県民性で知られる宮崎。その土地柄は、刑務所内の雰囲気にも影響を与えています。宮崎の人は話し方が柔らかく、穏やかな人が多い傾向にあります。その県民性は刑務所職員にも自然と表れていて、受刑者からも「宮崎の職員は優しい」と言われることがあるのだとか。
令和7年(2025年)6月1日から「拘禁刑」が導入されたことにより、「さん」付けで名前を呼ぶなど、受刑者への対応が全国的に変わりつつありますが、人として対等に接しようという土壌が宮崎刑務所には元々あったようです。
また、食においても宮崎の地域性が色濃く反映されています。農業県である宮崎は、肉、野菜、魚といった食材が豊富で、物価も比較的安価です。そのため、予算内で新鮮かつ質の良い食材を調達しやすく、「宮崎刑務所の食事は美味しい」と受刑者の間でも評判なのだそうです。
宮崎刑務所の廃庁

令和6年(2024年)2月、宮崎刑務所を廃止し、新たに「宮崎拘置支所」を設置する組織改編が正式に決定しました。これにより、宮崎刑務所は令和8年(2026年)3月31日をもって約150年の歴史に幕を下ろし、翌4月1日から「宮崎拘置支所」としての新たな歩みを始めることになります。
刑務作業を行っていた工場は不要となり、職員の配置転換や異動も進められています。歴史ある施設がその役割を終え、新たな施設へと生まれ変わる。その過渡期にあるのが、今の宮崎刑務所の姿です。
刑務所と拘置所の違い

では、宮崎刑務所が生まれ変わる「拘置所」とは、一体どのような施設なのでしょうか。「刑務所」との違いは、収容される対象者とその目的にあります。
刑務所は、裁判で刑が確定した「受刑者」を収容する施設です。主な目的は、刑務作業や改善指導、教科指導などを通じて受刑者の更生を促し、社会復帰を支援することにあります。一方、拘置所が収容するのは、主に逮捕・勾留されたものの、まだ裁判が終わっていない「未決拘禁者(被告人・被疑者)」です。
このように、運営の根本的な目的が異なるため、職員に求められる注意点や配慮も大きく変わってきます。宮崎刑務所の廃庁は、単なる名称の変更ではなく、施設の役割そのものが大きく転換することを意味しているのです。
宮崎刑務所で行われている職業訓練

受刑者が社会に戻った後、再び罪を犯すことなく、安定した暮らしを続けるためには「就職」が欠かせません。その就労支援の中心となるのが、刑務所内で行われる「職業訓練」です。宮崎刑務所では、社会復帰に直結する技術や資格の取得を目指し、さまざまな職業訓練が行われています。
職業訓練の概要

宮崎刑務所の職業訓練においては、「農業科園芸課程」と「ビジネススキル科」の2つが開講されています。
まず、「農業科園芸課程」は、約17年の歴史を持つ宮崎刑務所を象徴する訓練です。宮崎は緑地園芸が盛んな土地であるため、花や樹木を育てるこの科も宮崎刑務所の地域性が感じられる点となっています。
たとえば、刑務所内の花壇はすべて訓練生が手掛けています。どの花を、どう配置し、いつ咲かせるかまで、訓練生同士が話し合って決めています。これは技術習得だけでなく、コミュニケーション能力の向上にもつながっています。しかし、全国的に農業関連の求人が減少していることや、今回の組織改編の影響により、この歴史ある科も終了する予定です。
「ビジネススキル科」は、パソコンの基礎操作(Excel、Word)やビジネスマナーを学ぶ、23日間の短期集中コースです。たとえば、肉体労働のイメージが強い建設現場でも、日報の作成や勤務時間の入力など、簡単なパソコンスキルを求められるケースがあります。この科では、そうした実務にすぐ役立つスキルの習得を目的に、メールの送受信など基礎から丁寧に指導しています。
資格取得の支援で社会復帰を後押し

刑務所の職業訓練は、単なる作業の繰り返しではありません。出所後の就労に役立つ「公的な資格」の取得を明確な目標としています。宮崎刑務所の農業科園芸課程では、小型建設機械・刈払機使用に関する資格などの取得を支援しています。
たとえば3級造園技能士を取得すると、庭師として活躍できる実務スキルを身につけることができます。資格試験においては、竹垣の作成や石の配置、植栽といった作業を制限時間内に完成させるような課題が出されます。
指導には刑務官だけでなく、外部から招いた緑地建設会社の専門家も参加し、より本格的な技術指導が行われています。刑務官の中には、「受刑者に3級の資格を取らせる以上、自分はそれ以上の知識と技術を持っていなければならない」と考え、休日に独学で勉強を重ね、さらに上位の資格まで取得した方もいるそうです。
職業訓練がもたらす効果

職業訓練が受刑者にもたらすものは、技術や資格だけではありません。それ以上に大きな意味を持つのが、精神面への好影響です。
所長によれば、どの刑務官に聞いても「土に触れることは精神面に非常に良い効果がある」と言うのだとか。実際、所長が以前勤務していた刑務所でも、精神障害があり粗暴な傾向にあった受刑者に園芸作業を専門的に担当させたところ、目に見えて穏やかになった例もあるそうです。植物を育てるという行為が、荒んだ心を癒し、自己肯定感を育むきっかけとなります。
宮崎刑務所の所長が語る最後の使命

約150年の歴史に幕を下ろす宮崎刑務所。その最後の舵取りを担うのは、奇しくも宮崎で生まれ育った所長です。大学卒業後、全国各地の矯正施設を渡り歩き、外交官として海外勤務も経験した異色の経歴を持つ所長に、これまでの歩みと、今、この場所で思うことを伺いました。
刑務官としてのキャリアの歩み
大学時代に刑事政策を学んでいた所長は、卒業後、特に深い動機はなく刑務所に入職。しかし、その後のキャリアは、所長の人生を大きく変える転機に満ちていました。
まず、1994年に横浜拘置支所で外国人処遇係を担当したのが大きな転機だったといいます。当時はイラン人の収容者が多く、言葉も文化も違う彼らとの間でトラブルが絶えませんでした。この現状を見かねた法務省が矯正局特定外国語研修を開講し、所長は1期生として5ヶ月間かけてペルシャ語を習得。
その後外国人処遇係を担うことになり、通訳として収容者と職員の橋渡しをするうちに、「この組織に貢献できることがある」と強く感じたそうです。その後は昇進試験にも合格、幹部養成課程の研修も終了し、幹部職員として順調にキャリアアップしていきました。
その後、栃木刑務所在職時に在外公館勤務の話が挙がり、これに挙手した所長は在ユーゴスラビア日本国大使館(当時)で3年間外交官として勤務しました。国際的な感覚を養い、任期終了後は府中刑務所の国際対策室などでその経験を活かしました。異なる文化や価値観を持つ人々と粘り強く対話し、理解を得ていく。その経験は、国籍を問わず、人の心と向き合う現在の仕事の礎となっているといいます。
また、深い動機はないと語りつつも、所長は子供の頃に父親の車から見上げた、黒く高い宮崎刑務所の壁の記憶を鮮明に覚えているとのこと。よもや自分が50年後、その場所の所長になるとは夢にも思わなかったそうです。その不思議な巡り合わせに、運命的なものを感じずにはいられないと、穏やかな表情で語ります。
仕事の中で印象深かった出来事
さまざまな経験の中でも、所長の心に深く刻まれているのは、受刑者の「死」と、その家族との向き合いです。甲信越地方の刑務所に勤務していた頃、あるアジア出身の若い外国人受刑者が施設内で亡くなりました。
母国から駆けつけた受刑者の家族は、深い悲しみと怒りをあらわにし、「日本政府を許さない。国際問題にする」とも口にしたそうです。刑務所の対応に問題があったわけではありませんが、所長らは葬儀の手配や必要な説明に丁寧に応じました。
最終的に、その家族は日本の地で手厚く弔われた遺骨を抱き、帰国の途につきました。新幹線のホームで見送る所長に、受刑者の兄は最後まで「弟が亡くなったことは決して許さない」と悲しみを滲ませました。しかし、「あなたが人間として示してくれた弔意には、兄として深く感謝します」という言葉もかけてもらい、その後も特段の問題となることもありませんでした。
受刑者の給食に対して思うこと

所長が運営で特に情熱を注いでいるのが、受刑者の「食事」です。栃木刑務所での勤務時代、上司から「衣食足りて礼節を知る」ということわざが刑務所で持つ意味について教わりました。着る物や食べ物が満たされなければ心は安定せず、更生指導は難しい——そんな教えです。
所長は毎月の献立会議では、「安くて美味しい」をコンセプトに、細かくメニューをチェックします。コッペパンにウインナーと炒めたキャベツを添えればホットドッグに、食パンにハムとチーズを付ければサンドイッチになる。そんな小さな工夫で、食事は単なる栄養補給から「楽しみ」に変わります。
「食事を楽しむ受刑者の姿を見ていると、こちらが勉強になることも多い」と所長は語ります。
受刑者数減少に対して思うこと

全国的に進む受刑者数の減少。宮崎刑務所も例外ではなく、定員に対して収容者数は大幅に下回っています。しかしこの現状を、所長は前向きに捉えています。
かつては過剰収容により、受刑者の教育や指導にまで十分な時間を割くことができませんでした。現在は、一人ひとりの受刑者と向き合う余裕が生まれ、拘禁刑の導入も追い風となっています。
改善更生と社会復帰支援という、矯正が本来目指すべき姿を実現できる環境が、ようやく整備されつつあります。「もう少し早くこの時代が来ていれば」という所長の言葉からは、残りわずかな任期を惜しむ気持ちが感じられました。
若手刑務官に伝えたいこと

自身が刑務官になった頃は、給食や入浴、運動などの受刑者への対応に正しい意味を見出せず、理解するまでに時間がかかったといいます。自らのキャリアを「遠回りだった」と振り返る所長は、これからを担う若い刑務官たちに「できるだけ早い段階で、自分のキャリアビジョンを描いてほしい」と願っています。
「こうなりたい」という目標があれば、今やるべきことが自ずと見えてくるもの。そうした思いは、所長が目標を見つけるまでに長い時間を要した経験から生まれたものです。
一般社会へのメッセージ

刑務所職員の仕事は、消防士や警察官のように目に見える形で感謝されることは少なく、「社会から理解されていない」と感じる職員は8割に上ります。それでも職員たちは、塀の向こうで受刑者の改善更生に真剣に向き合っています。
受刑者とはいえ、あくまで「人」なので、心のどこを病んでいるのか、どこに闇があるのかを見極め、寄り添うことが必要です。「ここまで人の心に深く関わる仕事は他にない」と所長は語ります。だからこそ、他では得られない面白さとやりがいが刑務所の仕事にはあるのです。
一方で、刑務官と警察官を混同する人は少なくありません。こうした誤解を解くため、広報活動の一環として、地元の大学の新入生を対象に、2025年4月、刑務官の仕事を紹介する説明会を開催しました。少子化や社会情勢の変化の影響で公務員(公安職公務員)志望者が減っているなかで、刑務所の仕事について正しく理解してもらうことは急務といえます。
廃庁という大きな節目を前に、宮崎刑務所は静かに、しかし着実に、その最後の務めを果たそうとしています。所長の言葉からは、知られざる矯正の現場と、そこで働く人々の真摯な思いが克明に伝わってきました。

<TEXT/小嶋麻莉恵>
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