「コミュ力おばけ」マジシャンYOSHIから学ぶコミュニケーション術
芸能界に強力なパイプを持つ、YOSHIという1人のマジシャンがいる。ただ、肩書きはマジシャンだけに囚われない。時に芸能事務所の社長、時にバーの経営者…非常にさまざまな顔を持っている。YOSHIのバックグラウンドや人間性を探っていくと、彼が「コミュ力おばけ」であることが大いに伝わってきた。今回は、そんなYOSHIの半生を紐解きつつ、独自のコミュニケーション術について詳しく話を聞いた。
〈目次〉
数々の肩書きを持つタレント・YOSHIとは?
多彩な肩書きを持つ男、YOSHI。テレビ番組やYouTubeに出演するタレントでもあり、マジシャンでもあり、有名タレントが多数在籍している芸能事務所・44プロダクションの社長を務めるほか、バーの経営者としてもその手腕を発揮している。
YOSHIのLINEに登録されている友だちの数は、8,000人を超える。LINEの登録上限は5,000人であるため、彼は携帯電話を2台使用している。テレビ局や芸能関係者と多くのつながりを持ち、たとえば所属タレントの番組出演を依頼するのもLINE1本で決まる場合があるという。
中学時代のいじめの経験が反骨精神に
YOSHIの持つコミュニケーション能力は、天性のスキルなのだと周りからは思われがちである。しかし、元々はコミュニケーションが苦手で、中学生になる前に大阪から北海道に引っ越した際に、新しい土地での学校生活にまったく馴染めなかったのだという。
中学校3年間は、いわゆる「いじめ」を受け続ける日々であった。靴の中に画びょうを入れられることもあり、友達は1人もできず、教師からも味方を得られない孤独な生活を送っていた。
それでも、YOSHIは「俺は大丈夫だ」と自分を信じていた。むしろ、「いつかこいつらを見返してやる」という反骨精神を抱き続け、この強い意志が、やがて人前に立つ芸能の世界への道を切り開いていくこととなったのだ。
いじめを受けていたこともあり中学時代は不登校気味だったが、その代わりに、YOSHIは芸能関係のスクールであるアクターズスクールに通い始める。スクールには幅広い年代の生徒が在籍しており、さまざまな人と交流を重ねるなかで、荒んでいたYOSHIの心は次第に外の世界へと開かれていった。
芸能界に入ろうと思ったきっかけ
YOSHIは元々、「オールスタープロ野球12球団対抗歌合戦」に出てみたいと夢見ていた。しかし、プロ野球選手にはなれないとその夢は一旦諦め、次に目指したのが「芸能人になること」だった。
実は、現在44プロダクションに所属している元ZONEのMAIは、YOSHIと同じ学校に通っていた。当時、高校生だったYOSHIは、チヤホヤされているMAIを見て「羨ましい」と感じ、芸能界に興味を持つようになる。
どうせ目指すなら、競争が少ないジャンルを狙いたいと考えたYOSHIが目をつけたのは「マジシャン」であった。17歳から独学でマジックの勉強を始め、習得したマジックは積極的に路上で披露した。他のマジシャンとも自然と交流を持つようになり、技を教えてもらいながら実践を積み重ね、YOSHIの技術は着実に磨かれていった。
路上で披露していたマジックを偶然テレビ関係者が見ていたことがきっかけとなり、YOSHIは北海道のテレビに出演。その後、芸能事務所に入ることを目指して上京し、渋谷の路上でもYOSHIはマジックの披露を続けた。ある日、YOSHIのマジックを見たとある男性からバーに誘われたことがきっかけで、志村けんさんなどの芸能人とつながっていくようになる。
YOSHI流・コミュニケーションの秘訣
YOSHIのLINE友だち8,000人の登録名は、同じ名前であっても混同しないよう、記号やアルファベットを用いて独自にカスタマイズされている。受け取った名刺には、誰から紹介されたのか、いつ交換したのかといった詳細が丁寧にメモされている。
メッセージには朝でも夜でもすぐに返信し、そのスピードは「いつ寝ているのかわからない」と周囲を驚かせるほどである。毎日誰かの誕生日があり、YOSHIはその都度、気遣いや工夫を凝らしたお祝いメッセージを欠かさない。なぜこれほど多くの人がYOSHIの周りに集まるのか、話を聞いていくうちにその理由が明らかになった。
「4敬語1タメ語」で距離を縮める
YOSHIが会話で意識しているのが「4敬語1タメ語」である。その名の通り、4回敬語を使った後に1回タメ語を挟むという、YOSHI独自の会話術である。この方法は、相手がどれほど目上の立場であろうと例外なく用いられている。
そうすることで、社長や会長といった権威ある人物たちからも、「友達」として人に紹介されることが多いという。相手の立場に遠慮しすぎることなく、どのような場面でも素直な態度で接することで、相手を自然と自分の側に引き寄せる。こうした心構えが、立場に囚われないフランクで対等な関係性を築く鍵となっているようだ。
誰に対しても平等なギブの精神
周囲とのつながりを何よりも大切にするYOSHIは、相手が誰であれ「ギブの精神」を決して忘れない。相手が先輩であろうと後輩であろうと、お金持ちであろうとホームレスであろうと、態度を変えることはない。その平等さこそが、YOSHIが多くの人と関係を築く秘訣であるのかもしれない。
また、YOSHIは相手が喜ぶポイントを察知するアンテナを常に張っている。特に夜の飲み会では、「おしぼり」「ドリンク」「灰皿」という3つの要素をさりげなく気遣うことを心がけている。わざとらしくならないよう配慮しつつ、相手が心地よく過ごせる空間をつくるのがYOSHIのこだわりだ。
さらに、人を驚かせ喜ばせる工夫にも長けている。たとえば、「財布をなくした」と話していた相手に後日ブランド物の財布をプレゼントすることもあれば、沖縄での誕生日会に「行けない」と告げておきながら、当日一番乗りで現地に現れるというサプライズも。YOSHIは、人を喜ばせる才能にあふれており、まさにエンターテイナーと呼ぶべき存在である。
媚びを売って築いた関係性はいらない
多くの人を引き寄せる強力なコミュニケーション能力を持つYOSHIは、「人生何周目?」とよく聞かれるという。その質問をしたのが年上だとしても「4、5周目くらいなので、◯◯さんより上ってことになりますね」と軽妙に返す。
良いものは良い、悪いものは悪いと、いついかなるときもストレートに言葉にするYOSHIは、相手が誰であろうとも、そのスタンスを崩さない。たとえば、相手がつけている腕時計が格好いいと思えばそのまま褒め、逆にイマイチだと感じれば「ダサい」「格好悪くないですか?」とはっきり伝える。
この率直さの背景には、一生の関係性、すなわち「友達」として付き合いたいというYOSHIの信念がある。忖度や媚びを売ることで築かれる関係性なら、そんなものは最初から必要ないと断言する。
それでも現実的には、人間関係において媚びを売る人が多いことに違和感を抱いているという。思ってもいないことを口にすることは相手に対しても自分に対しても嘘をつくことであり、いずれボロが出る可能性がある。そのような不誠実な関係性を築くくらいなら、最初から何も褒めないほうがいいというのがYOSHIの持論である。この潔さこそ、多くの人が見習うべきコミュニケーションスキルと言えるだろう。
覚えてもらうためのインパクトを残す
多くの人と交流を持つYOSHIだが、意外にも自分から連絡先を聞くことは一切しない。相手に「この人の連絡先を知りたい」と思わせるような魅力を出すことが、YOSHIのこだわりである。
数えきれないほどの人々と関わってきたYOSHIだからこそ感じるのは、自責思考が足りない人の多さである。たとえば、以前会ったことがある人や名刺交換をした相手に名前を忘れられた場合、多くの人は覚えていない相手を責めがちである。しかし、YOSHIは「覚えてもらえなかった自分に原因がある」と捉え、自分自身の行動を見直す姿勢を持っている。
プライベートでも仕事でも、忘れられることはその人自身の「負け」である。他責に逃げるのではなく、自責で物事を考えない限り、相手にインパクトを残すことはできない。実際、YOSHIは10年ぶりに再会した相手であっても、その人がYOSHIのことを忘れることはないと断言する。
その背景には、マジックやトーク力といったYOSHIが磨いてきた独自の「突き抜けた武器」がある。強烈な印象を与えるための努力を怠らない姿勢こそ、YOSHIが多くの人々の記憶に残り続ける理由である。
どんな機会も逃さないレスポンスの速さ
YOSHIが普段から徹底して意識しているのが、メッセージの返信速度である。早朝や深夜であろうと、連絡が来れば即座に返事をする。一時は、携帯電話をタオルで顔に巻きつけて寝ていたほどの徹底ぶりであった。
この意識が芽生えたのは、YOSHIが20歳の頃。当時、嵐や安室奈美恵などのPV監督として知られる清水康彦氏と共同生活を送っていた。ある日、昼過ぎまで寝ていたYOSHIに清水氏から電話が入る。折り返したところ、開口一番「遅い!」と怒鳴られ、すぐに電話を切られた。その後、帰宅した清水氏に「お前、マジ持ってない」と呆れられる。
実はその日、とあるPV撮影があり、主演のキャストが現場に来なかったため、清水氏は代役としてYOSHIを起用しようと考えていた。しかし、連絡がつかなかったため、別の人に依頼するしかなかったという。この話を聞いたYOSHIは、「寝ている場合ではなかった」と大きなショックを受け、それ以来、どんな状況でも即座にレスポンスをすることをモットーとするようになった。
「マメじゃない人は、仕事をするうえで稼ぐことはできない」とYOSHIは断言する。その確信に満ちた言葉から、YOSHIが成功を掴むうえで大切にしている姿勢が強く伝わってきた。
ターニングポイントとなった独立
YOSHIが周囲の人々を大切にしようと強く意識するようになったのには、大きな転機があった。20代の頃、大手芸能事務所であるサンミュージックプロダクションに所属していたYOSHIは、高いコミュニケーション能力を発揮し、所属3年目には自分の力だけで仕事を獲得できるようになっていた。その頃から独立を視野に入れ、事務所を退社する決断をした。
しかし独立して初めて、大手事務所のブランド力の大きさを実感することになる。事務所を離れたことで、何者でもなくなった自分に気づき、自信を失う時期もあったという。ただ、この挫折を通じて、YOSHIは人とのつながりの大切さを改めて痛感した。そして、今では芸能事務所の社長として、所属タレントと共に全国を飛び回りながら、その思いを実践し続けている。
事務所を離れた後も、サンミュージックの社長と交流が続いているという。そもそも社長自身がYOSHIの独立を後押ししていた人物であり、一度つながった縁を大切にするYOSHIの姿勢は、彼の「愛され力」を物語っている。
「人生あいうえお」。これがYOSHIの座右の銘である。この言葉は、「愛を持って・生きていれば・運がやってくる・縁ができ・恩返し」の頭文字をとったもの。このフレーズには、YOSHIの生き方や人となりが端的に表されている。
YOSHIが抱く未来への展望
YOSHIは将来的に業態をホールディングス化し、事業をさらに拡大していくことを展望として掲げている。不動産関係のYouTubeチャンネルの新規立ち上げや、沖縄へのバー出店など、YOSHIの「やりたいこと」は尽きることがない。
特にバー事業においては、現在経営している恵比寿の「Bar44」が、非常に活気あるコミュニケーションの場となっている。そこには多種多様な人々が集まり、自然と新たな仕事が生まれていくという。
多くの人と関係を築き、強烈なインパクトを残し続けるYOSHI。「コミュ力おばけ」と称される高いコミュニケーション能力を武器に、これからもその世界をさらに広げていくことだろう。
YOSHI プロフィール
大阪府出身、 1988年2月9日生まれ。
2005年、北海道にてマジシャンとして路上デビュー。その活動が北海道放送関係者の目に止まり、テレビに出演する機会が増えていく。
大学在学中の2008年、所属事務所を決めるために上京。その際ホームレス生活を経験。
2009年、塚本高史や陣内孝則との出会いをきっかけにサンミュージックプロダクションへの所属が決まり、全国区のタレントとして活動するように。
2012年にサンミュージックプロダクションを退所し、2016年に44ぷろだくしょん(現・44プロダクション)を設立。
近年ではお笑いタレントの宮迫博之やYouTuberのヒカル、ラファエルのYouTubeチャンネルなどに出演。
<TEXT/小嶋麻莉恵>