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読売新聞グループ本社の渡辺恒雄代表取締役主筆が19日、肺炎のため98歳で亡くなりました。大正15年東京都生まれの渡辺恒雄氏は、東大文学部哲学科を卒業後、昭和25年に読売新聞社に入社しました。
政治部記者時代には人脈を広げ、中曽根康弘元首相のブレーンとして知られるようになります。昭和60年から主筆を務め、平成3年には代表取締役社長・主筆に就任しました。
また、平成8年からは巨人軍のオーナーを務め、球界にも大きな影響力を持ちました。一方、平成6年には読売新聞社の憲法改正案を発表し、改正実現のために「大連立」を提唱するなど、政界への発言力も強めていきます。
渡辺恒雄氏は日本相撲協会の横綱審議委員会委員や、日本新聞協会会長なども歴任し、平成20年には旭日大綬章を受章。平成26年には政府の情報保全諮問会議座長に就任するなど、多方面で活躍しました。
晩年まで政官界とのパイプを絶やさず、若手政治家とも交流を持ち続けた渡辺恒雄氏。その死去は、政界やマスコミ、スポーツ界に大きな衝撃を与えています。葬儀は近親者のみで営まれ、後日お別れの会が開かれる予定です。
渡辺恒雄氏の訃報を受け、野球界からは惜しむ声が相次ぐ
巨人の長嶋茂雄終身名誉監督は「突然の訃報でした。しばらくは何が起こったのか、頭は白紙の状態でした。古く長いお付き合いで、巨人を離れてもたくさんの思い出があります」と綴った上で、「今、何を話せばよいのか、巨人が勝った時の渡辺さんの笑顔しか浮かんできません」と深い悲しみを表明しました。
プロ野球・ソフトバンクの王貞治球団会長は、渡辺恒雄氏が他に類を見ないほど熱烈な巨人ファンであったと述べ、創設者の正力松太郎氏の「巨人軍は常に強くあれ」という思いを受け継いでいたと語りました。そして、渡辺恒雄氏の巨人愛を称えるとともに、誰よりも巨人に強い情熱を持っていた方だったと振り返り、「心よりご冥福をお祈りする」と哀悼の意を表明しました。
巨人で長く監督を務めた原辰徳氏は「私にとって野球だけではなく、人生においても強い影響を与えていただいた恩師でした。厳しいご指導をいただいたこともありましたし、温かい言葉で励ましていただいたこともあります」と思い出を語りました。
また、「渡辺主筆は、私の人生の中で燦然と輝いた存在です」と、指導者としての渡辺恒雄氏の姿を振り返りました。渡辺恒雄氏は原辰徳氏の監督1期目を支え、退任後もチームの成功を後押ししていたといいます。