
漫画研究家の稲垣高広氏は、もともと藤子不二雄マンガの大ファン。推し活を続けるうちに、執筆やメディアへの出演、講演などの声がかかるようになった。それだけではない。毎年著名な漫画家から年賀状が届き、漫画家が一堂に集まるパーティーや漫画家の家族の結婚式に招待されるなど、「推し活民」羨望の日々を送っているのだ。そんな「推し活の達人」稲垣氏に、「推し活」ライフを楽しむ秘訣を聞いてみることにした。
〈目次〉
藤子不二雄作品の魅力とは
「ドラえもん」が国民的アニメになるのを体感した小学時代
稲垣氏が藤子不二雄マンガに熱中しはじめたのは1977年頃。コロコロコミックが創刊され、1979年にはドラえもんがテレビ朝日系でアニメ化された。「ドラえもん」が国民的アニメへの階段を、駆け足で昇っていくのを肌で体感した世代だ。
しかし小学校卒業と同時に、ほとんどの友人たちは「ドラえもん」を卒業していった。
稲垣氏自身も、当時はまさか大人になってもずっとファンで居続けるとは思わなかったそうだ。中学時代は同じ藤子作品でもティーンズ向けや大人向けのブラックな短編を読み、はまったこともある。
それでも稲垣氏は「ドラえもん」に帰って来た。稲垣氏にとっての「ドラえもん」および 藤子マンガの魅力とはどのようなものなのだろうか。

作品の根底にある「先生自身の姿」に共感
稲垣氏は、「藤子マンガは良質な娯楽に徹し、楽しさおもしろさを追求しているところが魅力」と語る。
子どもの平凡でありふれた日常に、遠い世界の不思議なキャラクターがやってきて騒動が起きる。助けてくれたり失敗したりしながら友達になっていく、というシチュエーションに魅了された。
また、主人公の少年に共感できたのも作品世界にのめりこんだ大きな要因だ。
藤子・F・不二雄先生(以下F先生)も藤子不二雄Ⓐ先生(以下A先生)も、幼少時はおとなしく引っ込み思案だったという。社交的なことで知られたA先生も、子どものころは赤面恐怖症で「電熱器」というあだ名だった。
先生方は主人公の少年に自分自身を投影しているといわれる。たとえばF先生は「ドラえもん」ののび太、A先生は「魔太郎がくる!!」の魔太郎。内向的な主人公の姿が、稲垣氏の心に響いたのだ。
「推し活」においては、デメリットはすべてメリットに変化する
児童漫画好きはオタクの底辺
稲垣氏いわく、推し活(ファン活動)には基本的に「デメリットがない」という。
なぜなら、どんなデメリットも本人の中ではメリットになってしまうから。「推しのために予想外の散財をしてしまったとしても、推しのために使ったんだと思えば納得できるし幸福感があるんです」
あえて「ドラえもん」ファンだったことのデメリットを挙げるとするなら、学生時代の「周囲からの目」だ。
80年代はマンガやアニメにはまるだけで「オタク」とバカにされるマンガ受難の時代だったが、児童マンガを読んでいると二重にバカにされたという。
「児童マンガ好きは、ヒエラルキーの底辺でした。F先生まで『隠れキリシタンのようだ』とおっしゃるほどだったんです。でもその分、ファン同士の結束は高まりました」
「隠れキリシタン」を自覚し高まる結束
稲垣氏は中2のときに、少し前に発足した藤子先生唯一の公認ファンクラブ「ユートピア」に入会した。

稲垣氏にとって心のよりどころだったが、ユートピアは1年ほどで解散してしまう。喪失感でいっぱいだった稲垣氏を救ったのが、次々と立ち上げられた小規模な私設ファンクラブの存在だ。
稲垣氏は、片っ端からさまざまなファンクラブに参加。それまであまり発信して来なかったのが、コップの水があふれるように外に向けて発信しはじめた。
この頃に知り合った仲間との結束が、その後の稲垣氏の推し活を支えている。
「今は大人がマンガ好きだと言ってもバカにされないし、SNSなどで『同好の士』を見つけやすい、いい時代です」
「推し活」がなければ味わえなかった無上の喜び
「月刊のび太くん」と「笑ゥせぇるすまん」の色紙
高校時代(1985年頃)に稲垣氏は、函館に住む熱心なファンと文通をはじめた。
彼と一緒に冊子「月刊のび太くん」を制作し、毎月藤子スタジオに送った。スタジオからはスタッフによるお礼の手紙が届いて感激したという。貴重な映画のフィルムで作ったしおりや先生方の直筆サイン入りのハガキなどが同封されることもあった。
藤子スタジオに出入りしたことがある別の人物によると、「月刊のび太くん」は当時藤子スタジオで話題になっていて、きちんと保存されていたそうだ。のちに漫画研究家となる稲垣氏の片鱗が垣間見える話でもある。
1990年代に社会人になり、体を壊した稲垣氏。落ち込んでA先生に手紙を書くと、なんと先生直筆の色紙が届いた。「当時はF先生が亡くなられたばかりで、A先生もつらい時期だっただけに、よけいにうれしかったです」

神が降臨した日
2000年代に入ると、稲垣氏の活動は活発さを増す。きっかけは、2002年7月に岐阜県の大垣女子短大で開催されたA先生の講演。告知のなかったサイン会まで開催された。
先生と握手できただけで、奇跡のような感動体験だった、という稲垣氏。
ところがそれだけでは終わらなかった。偶然再会したファンクラブの友人がスタジオの人と顔見知りで打ち上げに誘われ、一緒にいた稲垣氏にも声がかかったのだ。
「大勢集まるのかと思ったら、なんと6人で、しかもA先生の隣に座れたんです」
翌8月にはA先生の故郷・氷見市で開催されたA先生の原画展オープニングセレモニーへ。生家の光禅寺に見学に行き、10数名で先生を囲んで話した。”神様”再降臨。夢のような話である。
さらに9月は名古屋、10月は東京でA先生と会い、一緒に記念撮影できた。
「4カ月連続でお会いして、幸福感で味をしめました。2012年頃までイベントが盛んにあったので、どんどん申し込みました。追っかけ状態です」
ファン活動を通じて仲間が増えていったことが、さらに活動の充実につながった。
「推し活」の達人とは「楽しむこと」の達人
買い物の上限額を決める
推し活といえば散財とイコールのイメージがある。しかし、稲垣氏は買い物の上限を決めているため、それほどの散財には至らないという。
稲垣氏のルールは以下の通り。
- 基本的には上限3,000円以上のものは買わない
- すごく心が喜んだものは3,000円以上でも買うが、5,000円を超えないように強く心がける
「『1万円を1個』より、『1,000円を10個』や『100円を100個』の方が楽しいという感覚なんです」
心があまりに喜び過ぎた場合は、うかつにもごく稀に5,000円を超えてしまうこともある。その最近の例が昨年買ったミュージアム限定発売の「UDF 新オバケのQ太郎フィギュア」5点セット(8,000円弱)だという。
「5体セットなので5で割れば2000円を下回ってセーフなんですが、それを言ったらズルいかもしれませんね」と稲垣氏は笑う。
今までで最高額の買い物は?
今までの最高額は、2009年発売の藤子・F・不二雄大全集、全巻で20万円くらい。1期~4期で1期ごとに一括予約をすると予約特典が用意された。
小学館の記録によると、第1期全巻セットは50,610円と高額だが、発売の2009年7月中に年内目標の5,000セットを販売、8月には9,000セットに達したという。購買層は稲垣氏よりやや若い30代前後(当時)の男性読者が中心。
「セット価格は高額ですが、33冊なので1冊当たりは1,500円程度です」。しっかりと3,000円の上限は守っている稲垣氏。
この全集だけでも、単行本未収録作品も含めF先生のほとんどの作品が網羅されている。しかし稲垣さんはその前もその後も、愛蔵版などカバーイラストや判型が違う版が発売されると、ほとんど購入してきたという。やはりコレクター魂は本物だ。
遠征費はケチらない
推し活に欠かせない活動で、上限3,000円をどうしても超えてしまうものがあるという。それが遠征費だ。
以前は高速バスで東京―名古屋間を往復6,000~7,000円台で行き来することも多かったが、最近は体力的なことから新幹線を利用。新幹線代だけで年間10万円超えになるうえ、宿泊費の高騰も悩ましいところだ。
それでも、遠征することで活動が広がった経験から、可能な限り遠征費は惜しまないことに決めているという。
「推し活」を平和に長く楽しむ方法
ブログ開設で起きた変化
2000年代半ばからは活動のベースがブログやSNSに変わった。2004年からはてなダイアリーで「藤子不二雄ファンはここにいる」を開設。予想以上に多くの人に読まれて反響に驚いたという。
ブログをはじめたことが、稲垣氏の運命を大きく変える。それまでの「ファン活動」から「漫画研究家」へと自身の活動を一歩押し上げたのが、このブログの力だ。
ブログがきっかけで2009年、社会評論社より「藤子不二雄Aファンはここにいる」2冊を出版。

その後は藤子不二雄研究家・漫画研究家として、テレビ番組・イベント・雑誌など活動の幅が広がっていった。
藤子不二雄ファンが平和な理由
緊密な関係の友人は決して多くはないという稲垣氏だが、活動を通じて出会った仲間たちとゆるやかで程よい距離感の交友関係を楽しんでいるように見える。
藤子ファンは穏やかな人が多く、稲垣氏の周りではほとんどトラブルがないという。「ドラえもん」の登場人物でいえば「のび太タイプ」が多く、「ジャイアンタイプ」はとても少ない印象だ。
それには、先生方の「作風」が影響を与えているのではないかと稲垣氏は分析する。「藤子マンガの『一歩引く視点』を持つ読者が多いせいではないかと考えています」
「エスパー魔美」の「他人にとってはガラクタでも本人にとってはかけがえのない宝物」「たとえ自分には理解できなくても他人の価値観は尊重しよう」は象徴的な考え方だ。
推し活をするなかで熱くなるあまり、つい排他的になってしまうこともあるだろう。そんなときに「自分が信じているものだけがすべてではない」と考えられると、さまざまな趣味嗜好を持つ人が平和に共存できるのかもしれない。

稲垣高広氏プロフィール
愛知県出身、1968年5月18日生まれ。
藤子不二雄研究家、漫画研究家。
幼少期から藤子不二雄(藤子不二雄Ⓐ、藤子・F・不二雄)ファン。
2004年から開始したブログ「藤子不二雄ファンはここにいる」が大きな反響を呼ぶ。
2009年、社会評論社より「藤子不二雄Aファンはここにいる」2冊を出版。
藤子不二雄に関する著書および漫画に関する共著多数。