自動車メーカースズキの鈴木修相談役が2024年12月25日、悪性リンパ腫のため94歳で逝去されました。後日、「お別れの会」が開催される予定ですが、日時や場所は公開されていません。
鈴木修氏は岐阜県出身で、中央大学卒業後、スズキの2代目社長の娘婿となり1958年に入社しました。1978年に社長に就任し、「中小企業のおやじ」を自称しながら、小型車の開発に注力しました。
「アルト」や「ワゴンR」など、誰もが手軽に乗れる軽自動車のヒットモデルを生み出し、スズキを世界的な自動車メーカーへと成長させた立役者です。海外でも積極的に事業を展開し、インドでは販売シェアトップを獲得するなど、グローバル市場での存在感を高めました。
2000年以降はカリスマ的な経営手腕を存分に発揮し、3,000億円台だった年間の売上を3兆円を超えるまで成長させました。2015年に長男の俊宏氏に社長の座を譲り、会長としてトヨタとの資本提携などを推進。
2021年の会長退任後も、財界だけでなく政治や文化の分野でも精力的に活動されていました。鈴木修氏の功績は日本の自動車産業の発展に大きく寄与したといえるでしょう。
ネット上では、「この人なしに、今のスズキは絶対にない」「こんな魅力的な車づくりが根付いているのも、鈴木修さんの個性があってこそだったのでしょう」「今後も、スズキが鈴木氏の意志を継いで、乗りやすい車を開発してくれる事を願っています」などの声が寄せられています。
トヨタ自動車の豊田章男会長「憧れのおやじさんでした」
スズキの鈴木修相談役の訃報に対し、自動車業界から追悼のコメントが相次いでいます。トヨタ自動車の豊田章男会長は、鈴木修氏を「私から見れば日本の軽自動車を発展させ、国民車にまで育て上げられた憧れのおやじさんでした」と称え、その経営手腕と競争を生き抜く気迫に敬意を表しました。
また、長年にわたってスズキと業務提携を続けてきたマツダは、鈴木修氏の独自の経営哲学とリーダーシップを称賛。OEM供給などを通じて多くのことを学ばせていただいたと感謝の意を述べています。
日本自動車工業会は、鈴木修氏の日本の自動車産業の発展と海外展開によるグローバル化への貢献をしのび、哀悼の意を表明しています。全国軽自動車協会連合会も、低迷していた軽自動車市場を活性化させた功績は計り知れないとし、鈴木修氏の多岐にわたる活躍をたたえました。
日本の自動車産業に多大な影響を与えた鈴木修氏。その功績と人柄は、業界の垣根を越えて広く敬愛されていたことが伺えます。