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- 伝説の保護司・中澤照子が「更生カレー」に込めた未来への願い

東京都文京区で生まれ育った中澤照子さんは、幼い頃から、弱い立場の人に自然と心を寄せる少女でした。縁があってやがて保護司となり、家庭の反対や刃物が飛ぶ現場、社会の偏見と向き合いながらも「人の更生」を信じて歩み続けます。
その活動から生まれた「更生カレー」は、クラウドファンディングを通じて2万食以上が広がり、今も人々の心をつなぎ続けています。本記事では、“伝説の保護司”と呼ばれた中澤さんが、人生を懸けて守り続けた思いをご紹介します。
<目次>
刃物が飛ぶ現場も。それでも保護司を続けた理由

中澤さんは幼い頃から、いじめられている子や教室で孤立している子がいれば、さっと手を差し伸べたり、時には体を張ってかばうこともありました。同級生からは「まるで月光仮面みたいに現れて助けて、すぐ去っていく子だった」と言われていたと振り返ります。
それは決して特別な正義感ではなく、中澤さんにとってはごく自然な行動でした。困っている人を見過ごせない。声をかけ、居場所をつくり、少しでも安心させたい。そんな思いが、彼女の人生を貫いています。
大人になってからも、中澤さんは地域で不良少年や行き場をなくした子どもに声をかけ、自宅に招き入れてご飯をふるまっていました。「放っておかれている子を見ると、どうしても声をかけたくなるんです」と振り返ります。そんな姿を見た近所の人からの「あなたは保護司みたいだね」という言葉がきっかけとなり、平成10年に正式に保護司に任命されました。
保護司は、罪を犯した人や非行に走った少年少女の立ち直りを支える民間のボランティアです。国から任命を受けますが、活動は完全に無償です。当時はまだこの制度を知る人が少なく、中澤さんも手探りでの活動でした。最初に直面したのは、家族の反対でした。特に娘さんは「犯罪者と関わるなんて危険」「家に呼ぶなんて考えられない」と猛反発したといいます。
それでも中澤さんは、「被害者を増やさないためには、加害者を支える必要がある」と説き続けました。やがて娘さんも徐々に活動に理解を示すようになります。対象者が家に来る日は「今日は何人来るの?」と気にかけ、食事の手伝いまでしてくれるようになったそうです。

保護司の活動は、決して安全ではありません。家庭内での激しい喧嘩のさなかに呼ばれ、刃物が飛び交う現場に立ち会ったこともあります。精神的に不安定な人を前に、緊張感の中で向き合わなければならない場面も少なくありませんでした。
それでも中澤さんは「相手の心が自然に開くのを待つ」「敵か味方かを敏感に察知する彼らに、真の優しさを示す」ことを何より大切にしてきました。無言のまま並んで過ごす時間が、やがて相手に安心感を与え、信頼へとつながっていったのです。
活動の中では“偏見”にも、幾度となく直面しました。中澤さんが団地で暮らしていることを知った関係者からは「こんな狭いところで保護司をしているんですね」と皮肉を言われたことも。一方で、「あなたに出会えて家族中が喜んでいる」と感謝の言葉を受けることも多くありました。そうした瞬間が、彼女を支え続けてきたのです。
中澤さんには、今でも心に残っている対象者のご家族の言葉があるといいます。
「あの部屋の灯(あかり)を見るだけで安心するんです。何かあっても、あそこに行けばなんとかなる」
夜遅くまで団地の一角に灯っていた、中澤さん宅の部屋の灯。その存在は、地域の人々にとって「ただそこにいるだけ」で安心をもたらすものでした。
クラウドファンディングで広がった「更生カレー」の輪

中澤さんは20年以上にわたり多くの若者たちと向き合い続け、77歳で保護司としての務めに幕を下ろしました。退任する半年前には、東京都江東区に「Café LaLaLa」をオープンしました。開店のきっかけは、卒業していった元対象者たちが、結婚や出産の報告に団地を訪ねてきてくれるようになったことだといいます。
しかし、まもなくコロナ禍に直撃され、経営は大きな打撃を受けました。毎年恒例となっていた、卒業生たちに手づくりカレーをふるまう「カレー会」も、やむなく中止となりました。
そんなとき、一人の卒業生が「中澤さんのカレーをレトルトにすればいい」と提案。仲間たちはすぐにクラウドファンディングを立ち上げ、食品業者やデザイナーと協力し、「更生カレー」が誕生したのです。
更生カレーの原点は、中澤さんが保護司になったばかりの頃、ある少年に夕食としてふるまった一皿のカレーでした。その味が口コミで広まり、自宅にはカレーを目当てに子どもたちが訪れるようになっていきます。
やがて、「カレーを食べたらゴミ拾いをしようね」と呼びかけると、子どもたちは地域の人に褒められ、社会に受け入れられる経験を重ねていきました。こうして始まった「カレー会」は、今もなお続いています。
クラウドファンディングで製造した第一弾3,000食のカレーはすぐに完売し、現在では累計2万食を超えるまでになりました。隠し味はマヨネーズ、ソース、ケチャップ。中澤さんは「一味も二味も良くなるのよ」と笑顔をのぞかせます。
「更生ってネガティブな言葉じゃないんです。『更に生きる』って書くでしょう? 誰でも力強く生きていける。更生できない人なんていない。このカレーには、その思いをぎっしり詰め込んでいます」
「更生カレー」に託す未来への思い

かつて「元気にしてる?」と声をかけていた子どもたちが、いまでは大人になり、「元気にしてる?」と彼女を訪ねてきます。中澤さんにとって、このカフェは人生の集大成であり、人々の心のよりどころのような場所になっています。
「カフェは、私の元気がなくなったら畳もうと思っているんです。でも『更生カレー』は私がいなくなっても続けてほしい。そうすれば、私がやってきたことがこれからにつながると思うんです」
無償での活動という制約、世の中からの偏見、そしてさまざまな危険と向き合いながらも、誰よりも「人の更生」を信じ、“伝説の保護司”と呼ばれた中澤照子さん。そのまなざしは今も変わらず、困難を抱える人々に温かく寄り添い続けています。
中澤照子さんにお聞きした保護司のリアルについて知りたい方は、下記記事も読んでみてください。







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