刑務所の高齢化に民間の知恵を。拘禁刑を背景に導入された新プログラムとは

刑務所内

今、日本の刑務所は大きな転換期を迎えています。2025年6月、法改正により従来の「懲役」と「禁錮」が一本化され、「拘禁刑」が施行されました。

拘禁刑は、受刑者に一律で刑務作業を課す仕組みから転換し、刑務作業を行わせるかどうかも含めて、個々の特性に応じた処遇を柔軟に設計できる点が特徴です。 これにより、指導・教育の比重を高め、立ち直り(更生)と円滑な社会復帰をより強く後押しする運用へと舵を切ることが期待されています。

この改革の背景には、受刑者の高齢化に伴い、認知機能の低下などに配慮した支援や処遇の必要性が高まっている現実があります。特に高齢受刑者に対する効果的な更生プログラムの不足は、法務省にとって喫緊の課題です。

このような状況のなか、民間企業の専門的な知見と、科学的根拠に裏付けられたプログラムが刑務所の扉を開きつつあります。障害者雇用支援を長年手掛けてきた株式会社スタートライン(以下、スタートライン社)と、行動分析学を専門とする明星大学教授の竹内康二氏が連携し、新たな認知機能トレーニングプログラムを刑務所に導入しました。

本記事では、刑務所改革の最前線で民間プログラムの導入と、その根幹にある画期的な理論についてお聞きしました。

<目次>

認知機能トレーニングで挑む再犯防止と社会復帰

明星大学キャンパス

刑務所における高齢受刑者の増加は、社会全体の高齢化を反映し、深刻なレベルに達しています。認知機能が低下した受刑者が増えると、刑務所内で提供される従来の職業訓練や指導が適合しないだけでなく、出所後の生活が成り立たず再犯につながるおそれもあります。

以下では、明星大学心理学部の竹内康二教授とスタートライン社が協力して導入を進めている刑務所への民間プログラムについて、お聞きしました。

――法務省や刑務所が感じている高齢受刑者の課題とはどのようなものでしょうか

竹内教授:刑務官の方々が受刑者一人ひとりの特性に応じた支援をしたいと思っても、マンパワーも専門性も限られます。特に受刑者の高齢化が進み認知障害の方が増えるなかで、従来の画一的な受刑者向けプログラムでは対応しきれないという、現場からの切実な声がありました。

そこで、私が以前から顧問を務めており、障がい者の方々の就職支援を行っている株式会社スタートラインとともに、民間プログラムの導入を通して高齢受刑者のサポート・認知能力の維持ができないかと考え、法務省と連携しながら導入を進めています。

――株式会社スタートラインが刑務所に導入を進めているのは高齢受刑者への「認知機能トレーニングプログラム」だそうですね。このプログラムはどのようなものでしょうか。

スタートライン社:関係フレーム理論(以下、RFT)は、心理学の一分野である行動分析学で発展した理論であり、人間の認知や言語にかかわる一理論です。スタートライン社では2009年の設立以来、企業の障害者雇用支援を専門としてきました。当初は身体障害者を中心とした雇用支援でしたが、2012年頃から精神障害や知的障害のある方への支援が広がっていきました。

こうした対象の変化に伴い、従来の属人的な支援ではなく、より科学的根拠に基づいた支援技術の必要性を痛感し、社内に研究所を設立しました。竹内教授との連携も、この研究部門の強化をきっかけに深まり、RFTによるプログラムの研究を進めています。

今回、弊社が進めている刑務所向けのプログラムは、従来の刑務作業が難しい高齢受刑者にも効果的な支援が可能になると考えています。高齢者の方にも操作しやすいタッチパネル式のタブレットを用い、その上で高い学習効果が期待されるRFTベースのアプリケーションを動作させることで、新しい認知機能トレーニングとして実際に刑務所への導入が始まっています。

――受刑者の方々は実際にどのようにタブレットでトレーニングを受けているのでしょうか。

竹内教授:このトレーニングでは、タブレット上で、ある刺激(例:リンゴ)と別の刺激(例:バナナ)との間に成立する「関係性」(例:同じ、反対、より大きいなど)を結びつけるトレーニングを行っています。

この学習が進むと、まだ見たことのない新しい刺激に対しても、すでに身につけた関係性を応用して推測・判断できる「派生学習」の力が高まるとされています。つまりは、単なる記憶力・計算力にとどまらない「考える力」そのものの底上げにつながる設計です。

RFTに基づいた訓練は、先行研究で自閉症児や定型発達児の知的能力の向上、高齢者の認知機能維持が報告されています。認知機能が改善されることで、刑務所内で実施される他の改善更生プログラムも受刑者が受け入れやすくなると期待されています。

スタートライン社:高齢受刑者には、認知症の手前の段階である「軽度認知障害(MCI)」の傾向が見られる方が多いです。

このトレーニングにより認知機能の低下を防ぎ、社会復帰に必要なベースとなる思考力を高めることを目指しています。

実際の検証では、トレーニング実施後に既存の認知症検査(MoCA-Jなど)のスコアがどの程度向上するかをデータで測定しており、今後データの蓄積に基いてプログラムの改善なども視野に入れていきたいですね。

受刑者の「軽度認知障害(MCI)」をなぜ防ぐ必要があるのか

タブレットを操作する手

ーー受刑者の軽度認知障害を予防・改善することは、受刑者だけではなく刑務所や社会にとってどのようなメリットがありますか

竹内教授:主なメリットは3つです。

まず1つ目に、拘禁刑の目的である「受刑者の特性に応じた教育や指導を通じた更生」を目指す点が挙げられます。

刑務所内では、実施される職業訓練、再犯防止指導、その他の教育プログラムなどを通して、再犯を防ぎ出所後の再出発につなげることを目標としていますが、そのためには受刑者一人ひとりの思考や行動パターンを見直すことが大切です。

軽度認知障害を発症すると、記憶力や集中力、問題解決能力などの認知機能が低下します。その結果、指導内容の理解や学習内容の定着が難しくなりがちです。このような状態では、更生プログラムを続けていても、受刑者本人が十分な効果を得にくくなります。

だからこそ大切なのが、受刑者の認知機能を土台から引き上げることです。さらには、認知機能を維持させることで、他のプログラムが効果的に機能しやすくなります。

2つ目に、「受刑者の再犯率を防ぐために、軽度認知障害の予防と改善が欠かせない点」が挙げられます。軽度認知障害の状態とは、金銭管理や服薬管理、就労活動の計画など、社会生活を送る上で不可欠な機能が低下しているとも言えます。

生活における判断力の低下は、衝動的な行動や誤った選択に繋がりやすく、犯罪に再び手を染めてしまう要因となりかねません。だからこそ、認知機能を維持・向上させることは、出所後の自立した生活を送るための基盤を固めることになるのです。

3つ目に、「刑務所運営の負担を減らせるメリット」が挙げられます。認知機能が低下している受刑者は、指示の理解が難しくなったり、健康管理に特別な注意が必要になったりするため、刑務官にかかる負荷が増大しやすくなります。

現在日本の刑務所は、高齢者が集団で生活する特殊な環境になりつつあります。刑務所内で出所後を見据えた認知機能低下を防ぐことは、日本の高齢者支援におけるモデルケースともなりえるでしょう。

民間プログラムをきっかけに、社会問題や更生支援への理解が深まってほしい

握手をする人たち

――本プログラムは2025年から導入されている新しい取り組みであり、現在は主に高齢受刑者を対象とした検証が進められています。今後の検証や展望についてお聞かせください。

スタートライン社: 現在は刑務所での高齢者向けの検証が主ですが、このプログラムは認知症に限らず、認知機能に課題を抱える幅広い方々に効果が期待できます。今後は、同じ矯正施設である少年院への展開も検討しており、年代を問わず、様々な方の社会復帰を支援していきたいと考えております。今回の刑務所での実績を足がかりに、一般の高齢者施設でも、認知症や軽度認知障害の予防・改善プログラムとして社会問題の1つである認知症を減らしていけるように尽力したいです。

竹内教授:法務省の方々も、これまでの「罰」から「成長」への理念転換のなかで、支援のあり方に悩んでおられました。今回の民間プログラムの導入により、専門的な知見がなければ難しかった支援が可能になったと思います。今後は、再犯率の低下や社会復帰の成功といった具体的な成果につながることに期待したいですね。

また、私たちのような取り組み以外にも、民間の様々な知恵が導入されることで、更生支援に対する社会全体の理解につながってほしいと願っています。

竹内 康二
明星大学心理学部心理学科・教授。博士(心身障害学)。公認心理師、臨床心理士。専門は応用行動分析学。1977年生まれ。筑波大学博士課程修了後、明星大学専任講師、准教授を経て現職。

竹内康二 教授

岩田いく実ライター・インタビュアー

投稿者プロフィール

法テラス、法律事務所勤務後、法人事業としてライター業を展開。年間60人を超える弁護士・税理士を取材。2冊出版中:第一法規「弁護士のメンタルヘルスケアの心得」、自主出版「ルポ豊田商事」

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