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- 不登校の増加は「悪」ではない? 数字が示す「出席主義」の限界

小中学生の不登校者数が12年連続で増加しています。
文部科学省が実施した調査によると2024年度(令和6年度)の小・中学校における不登校児童生徒数は過去最多の35万3,970人(前年度比7,488人増)を記録しました。小学生は13万7,704人、中学生は21万6,266人。中学校では約15人に1人が不登校という状況です。
「増えている」という事実だけを見れば、社会のどこかに歪みがあるようにも感じられます。しかし本当にそうなのでしょうか。 長年、不登校の当事者や家庭、教育現場を取材してきた不登校ジャーナリストの石井しこう氏は、この増加を単純な「悪化」とは捉えていません。
「子どもたちを取り巻く社会のあり方と、学校制度との乖離が象徴的に表れているのではないでしょうか」

不登校は子ども側の異常ではなく、環境とのミスマッチである――。そうした見方に変えるだけで、議論の出発点は大きく変わります。
<目次>
変わらない学校制度と、変わり続ける社会
石井氏が指摘するのは、学校制度そのものの「時間差」です。現在の学校の基本設計は、明治期に整えられた枠組みを大きく変えていないのだと言います。
制度が全国的に整備された背景には、西南戦争後の国家づくりがあったとされています。時間を守り、集団で行動し、同じ内容を一斉に学ぶ仕組みは、当時の国民像に適していました。しかし、デジタル技術が浸透し、価値観が多様化した現代社会とは前提が大きく異なります。
「スマートフォンを使いこなせない大人は困りますよね。でも学校では、スマホを前提にした授業はほとんどありません。1世代、2世代の遅れではないのです」
学校現場は懸命に対応しています。ですが、制度の根幹が変わらないまま現場の工夫だけで乗り切るには限界があります。その“ひずみ”が、不登校という形で現れているのではないでしょうか。

不登校の理由を問うと、多くの人は「いじめ」「学力不振」「発達障害」といった単語を思い浮かべます。しかし石井氏は、「ほぼ30年前から子どもたちの語る感覚は変わっていません」と話します。
変わったのは、理由の“数”です。
勉強のつまずき、親の期待、学校の同調圧力、人間関係の摩擦、発達特性との相性……それらが重なり合います。離職や離婚と同じように、単一の原因では語れません。「なぜ行けないのか」を本人が言語化することも難しいのです。
石井氏によると、近年やや増えているとされるのは、学校の理不尽さに対する違和感をはっきり自覚するケースです。若い世代は情報に囲まれた環境で育ち、「おかしい」と感じる感度が高まっています。その直感が、不登校数の増加として現れている可能性もあります。
親を追い詰める「不登校離職」
不登校は子どもだけの問題ではありません。子どもの不登校をきっかけに離職を余儀なくされた保護者は約5人に1人にものぼるといいます。
「不登校は交通事故のように明確な始点がありません。頭痛や腹痛から始まり、徐々に欠席が増えていきます。親は「何とか行かせよう」と試みますが、無理をさせれば体調は悪化します。登校したはずの子どもが昼前に保健室から呼び出され、迎えに走る――そうした日々が続けば、働き続けることは容易ではないでしょう」
精神的に追い詰められ、医療機関を受診する保護者もいます。シングル家庭であれば生活基盤そのものが揺らぎます。不登校は、家庭の経済や労働にも直結する社会問題です。

学年別の不登校数を見ると、ある特徴が浮かび上がります。中学校まで増加傾向を示す一方で、高校段階で大きく減少するのです。義務教育と単純比較はできませんが、進学率がほぼ100%に近い中でこの差は小さくありません。その背景にあるのが、「通信制高校」の存在です。
現在、約10人に1人が通信制高校に進学しています。年間数日の登校で卒業要件を満たせるコースから、週5日通うコースまで、多様な選択肢があります。学期ごとに通学頻度を選べる学校もあります。
小中学校では「毎日同じ教室に通う」以外の選択肢がほとんどありません。しかし高校では学び方をカスタマイズできます。その瞬間、不登校数は大きく減少します。
「不登校は子どもが来ない問題ではなく、選択肢がない問題ではありませんか?」

「通う」と「学ぶ」の分離へ
日本は出席主義が強い国だと指摘されています。不登校を一人単位で詳細に把握し続ける国は珍しいともいわれます。
不登校という概念が明確に成立したのは、1941年の法改正で家庭教育による義務教育代替が削除されて以降とされています。家庭で学ぶという選択肢が制度上閉ざされた結果、「学校に行かない子」が問題化されました。
一方、欧米ではホームスクーリングが広く認められ、米国では数百万人規模で実践されているといわれています。台湾でも制度的に認められ、デジタル担当大臣を務めたオードリー・タン氏もホームスクーリング経験者として知られています。
もちろん、虐待の見逃しや格差拡大への懸念はあります。しかし、それらは検証と制度設計によって対応可能な課題でもあります。重要なのは、「学校に通うこと」と「学ぶこと」を分けて考える視点です。

不登校を減らすこと自体を目的にするのではなく、ミスマッチを減らすことを目指す。その結果として不登校数が減るのであれば、それは歓迎すべきことでしょう。
オンライン空間の学校、小規模なオルタナティブスクール、家庭学習、そして従来型の学校。複数の選択肢が併存する社会では、災害や病気にも強い教育制度を築くことができます。このような社会を実現するための具体策として、石井氏は次のように提案しています。
「通信制の仕組みを小中学校にも広げてみるべきです。日本の中ですでに成果は出ています」
不登校の増加は、子どもたちの“異常”を示すサインではありません。社会の側が変わるべきだという、静かな警告なのかもしれません。数字を減らすことに躍起になる前に、私たちは問い直す必要があります。
本当に守るべきものは、「出席率」なのでしょうか。それとも、すべての子どもに保障されるべき「学び」なのでしょうか。









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