内部告発サイト「ウィキリークス」の創設者であるジュリアン・アサンジ氏が、英国での5年以上に及ぶ拘束から解放されました。ジュリアン・アサンジ氏は2019年4月、米軍の機密情報を暴露した罪でロンドンにて逮捕され、米国からスパイ防止法違反で起訴されていました。
今回、ジュリアン・アサンジ氏は米当局との司法取引に応じ、情報漏えいの罪を1件認める代わりに、英国での収監期間を刑期に充当することで合意に至りました。英時間24日に釈放され、英国を出国した後、26日には米自治領・北マリアナ諸島サイパン島の裁判所で禁錮5年2ヶ月の有罪判決を受けました。
判決後、ジュリアン・アサンジ氏は出身地であるオーストラリアへ帰国する予定です。妻のステラ氏は「ジュリアンは自由の身だ。感謝の気持ちは言葉では表せない」とSNSで喜びを表明し、母のクリスティン氏も息子の試練の終わりを喜びました。
豪政府は、人道的見地からジュリアン・アサンジ氏の早期釈放を米政府に促してきました。バイデン米大統領も起訴取り下げを検討していましたが、最終的には司法取引での決着となりました。ウィキリークスは「ジュリアンは人々の知る権利のため、厳しい代償を払った」と主張しています。
ジュリアン・アサンジ氏、2010年に米軍の機密文書を公開
ジュリアン・アサンジ氏は米国の機密情報を暴露した罪に問われ、長年にわたり身柄を拘束されていましたが、オーストラリア政府の粘り強い外交努力により、ようやく自由を勝ち取りました。
ジュリアン・アサンジ氏は2010年、ウィキリークスを通じて米軍の機密文書を公開し、世界中に衝撃を与えました。その後、スウェーデンでの性的暴行容疑で逮捕状が出され、英国で身柄を拘束されることになります。
米国はジュリアン・アサンジ氏をスパイ活動法違反などで起訴し、長年にわたり身柄の引き渡しを求めてきました。2012年からエクアドル大使館に政治亡命していましたが、2019年に大使館を出た直後に逮捕され、それ以来、英国の刑務所に収監されていたのです。
しかし、オーストラリア政府は粘り強く外交交渉を続けました。特にアンソニー・アルバニージー首相は、米英両国との安全保障関係をテコに、ジュリアン・アサンジ氏の釈放に尽力しました。その結果、ジュリアン・アサンジ氏は米国との司法取引に応じ、約14年ぶりに自由の身となったのです。
ジュリアン・アサンジ氏は、2006年にウィキリークスを立ち上げ、諮問委員を務めました。2009年にはケニアの虐殺報道で、アムネスティ・インターナショナル国際メディア賞を受賞。ウィキリークスを通じて、環境問題や米軍の機密情報などを次々と公開し、2010年には米軍のアフガニスタン関与や外交機密文書を暴露しました。