メディアが市民にくだす判決に異議あり!呼び捨ての実名報道に抗った男性の壮絶な戦い

ゴミ収集車の死亡事故による呼び捨てでの実名報道で訴訟を起こした品野隆史氏

<目次>

ゴミ収集車の死亡事故による呼び捨て報道

みなさんは、「呼び捨て報道訴訟」をご存じでしょうか?

現在のメディアでは、事件に関して疑いのある人の実名を報道する際に「容疑者」という呼称をつけていますが、1989年までは多くのメディアが呼び捨てでの実名報道を行っていました。

その呼び捨て報道に対して、訴訟を起こしたのが品野隆史氏です。画家の家に生まれた品野氏は、いくつかの企業に勤めた後、運送業や輸出業、ゴミ収集などの複数の事業を立ち上げています。

1984年1月9日、三重県鳥羽市で発生したゴミ収集車に巻き込まれた清掃会社の作業員2名の死亡事故で、同年4月20日に業務上過失致死の疑いで書類送検された品野氏。事故後も鳥羽警察から任意聴取などに呼ばれず、青天の霹靂だったと言います。さらに、新聞各社がその事故について、品野氏を呼び捨てで実名報道を行いました。その後、不起訴になるも、そのことは報道されませんでした。

品野氏が起こした訴訟により、「容疑者」という表現が広く使われるようになりました。報道関係者のなかでは、「容疑者=推定無罪」と認識されていますが、世間では犯人という印象を持たれていることも多いのが現状です。

今回は、品野氏が呼び捨て報道に対して訴訟を起こした経緯や、報道の在り方などについて詳しくお話を伺いました。

事故当時の状況について

ゴミ収集車の死亡事故について話す品野隆史氏

Q.事故当時はどのような状況でしたか?

昭和59年(1984年)1月9日午前11時でした。事故当時のことは鮮明に、文書などがなくても全部覚えています。

ゴミ収集車の鉄製のふたを開けて作業していたところ、突然ふたが落下。2人の作業員が上半身を挟まれて亡くなりました。事故については目撃者がいませんでした。徐々に油圧がかかったため、従業員2人の遺体には傷が全然なかったんです。私はゴミ収集車の構造上の欠陥だと、はじめから言っていました。

亡くなった従業員の1人は、私の身内です。身内だからというわけではありませんが、男前で筋肉質、体格も良かった。知り合いやお客さんから、人格もあって立派だったと未だに言われます。自分の右腕と思って私も惚れていたくらいです。

それが突然亡くなったもので、もう代わりに私が死んだ方が良かったと思いました。これは、未だに自問自答していて、死ぬまで持ち続けますよ。

もう1人の従業員は、長く働いてくれていた私と同い年の男性です。長年業務を行っていると、ゴミ収集車のふたは落ちてこないという安心感が誰にでもあります。

Q.事故に関する報道はどのようにして知りましたか?

当時、新聞の報道は、警察発表をもとに書かれたとのことですが、私は警察発表の内容をまったく知りませんでした。鳥羽警察から私への任意の聴取もなく、むしろ事故が起こったことに対して同情的な言葉ばかり。気落ちしないようにと、刑事が会社に来てくれたくらいです。なので、報道で書類送検されたことを知って、まさかという思いでした。

新聞では、ゴミ収集車のふたに付ける安全棒が錆びついてることを大きく取り上げていましたが、当時、1m20cmの鉄製パイプを補助棒としてちゃんとつけていました。しかし、新聞は補助棒のことについて書くことはなく、警察も取り上げません。私を悪者にするような形で、安全棒が錆びついていることばかり書かれていました。

私も幅広く事業をやっていましたので、安全棒の錆に気づかなかったんです。もしわかっていたら放置するはずがありません。これは私の落ち度というか、運送や輸出、その他の事業の対面での折衝がものすごく多く忙しい時期だったので、従業員にゴミや産業廃棄物、それから浄化槽などの事業を任せていたんです。それが私の責任だと考えています。

報道によって品野氏や周囲に起こった変化

品野隆史氏が事故以降に調査して集めた資料の一部
品野氏が事故以降に調査して集めた資料の一部

Q.事故の報道によって品野さんや周囲にはどのような変化がありましたか?

亡くなった従業員が担当していた運送関係の仕事は全部なくなりました。事件の影響というより、その事件をきっかけに、この事業は閉じようとか、このお客さんとの仕事は辞めようみたいなことをしただけです。それまでの取引先は継続してくれるなかで、ゴミ収集の事業だけが残った形です。

私は苦情があったら絶対に見逃しません。過去に苦情があったときに、私自身が対応のために相手のところに行ったらびっくりされたこともありました。

事件の後、売上が下がった原因のひとつは過当競争です。県外の業者にも一般廃棄物の許可を出したために過当競争が起こりました。当時の持ち家や、亡くなった社員が住んでいたところ、会社も全部競売にかけられました。

Q.事故後に品野さん自身が意識するようになったことはありますか?

ゴミ収集だけではなく、土木にしてもどの世界でも、慣れに気をつけるようになりました。危険だと言ったら、はじめはみんな気をつけますけど、長年やっていると惰性になります。自分は大丈夫という心の隙間は誰にでもありますよね。

だから危ないときには、補助棒などをつけるようにしています。現在働いている従業員たちには、安全棒にグリスなどをしょっちゅう塗ることをくどいくらい伝えています。「事故はもう二度といやや、あんたが犠牲になったら私も生きてられへんで」と、厳しく言っているので、しっかり守ってくれています。ものが挟まったときも、絶対に入り込んだらいけないと、口酸っぱく注意しています。

Q.事故当時のメディアの報道を振り返ってみて、品野さんはどのように思われていますか?

警察発表ばかりを聞いて、私にインタビューに来たところは1社もありませんでした。最後に担当の刑事が来て、「早まったことしたらあかん」と、私に同情的でした。足が地につかない状況で、もう世の中から消えたい気持ちの方が強かったです。

ただ、私が死んだらもう終わりじゃないですか。会社を立て直して良くすることが彼らの供養にもなると思いました。そのときの刑事は、私の責任のことは何も言っていなかったので、警察が報道関係へ発表したことを私は全然知らず、警察に手の平を返されたような気分でした。

結果的に私は起訴猶予になりましたが、裁判になっていたら受けて立ち、言いたいことを言わせてもらおうと思っていました。

呼び捨て報道訴訟から生まれた「容疑者」という表現

呼び捨て報道訴訟の裁判で判決が出た名古屋高等裁判所の法廷のイメージ

Q.品野さんが起こした訴訟は「呼び捨て報道訴訟」と言われています。なぜこの訴訟を起こそうと思ったのでしょうか?

「品野は」というのと、「品野社長は」というのとでは意味が違いませんか。裁判も行われていないのに新聞社の記者が判決をくだすのでしょうか。起訴もされていないのに何の権限があるのでしょうか。代表取締役「品野隆史は」と呼び捨てにする時点で上下関係ができていると思います。私には私のプライドがあります。

Q.訴訟を起こしたことによる周囲の反応はどのように変わりましたか?

名古屋高裁で、私が裁判に敗けるのは承知の上でしたが、言うべきことは言いました。呼び捨て報道訴訟の判決をくだしてくれるのは、裁判官やマスコミではありません。国民が、私の意見を聞いて判決をくだしてくれと考えていました。

裁判官の判決やマスコミの報道が本当に正しいのか。それを知ってもらいたいし、国民の声を聞きたいという思いもありました。今ではスマホが発展したことで、ありがたいことに私の顔を見知ってくれるようになりました。40年越しに呼び捨て報道訴訟の話題が復活したのは晴天の霹靂ですよ。生きていて良かったと、ものすごく感謝しています。

自分がやってたことを国民がみんな見てくれて、いろいろな評価があるでしょうけど、見てると、良い意見が多いようです。

Q.英字新聞のジャパンタイムズにも「呼び捨て報道訴訟」が取り上げられましたね。取り上げられたときはどのように感じましたか?

ジャパンタイムズに取り上げられたことは、日本で初めて人権問題を取り上げた画期的なことと言われましたが、ただそれだけではありません。取り上げられた人権問題が日本だけでなく世界に発信されると思います。たとえば民主主義を重んじるアメリカは、人権を侵されたら黙ってないという人は多くいるでしょう。

日本ではこれまで人権問題が潰されてきました。思っていても本当に訴える人がいなかったから、私がゴミ収集車の事故によって自分が矢面に立たされたことで、自分の意見を述べなければと考えました。私には私の言い分があります。スマホなどの発達で新聞を読まない人でもスマホでニュースを読みます。その中には若い人もたくさんいるので、私の追い風になりました。

Q.「呼び捨て報道訴訟」以降、「容疑者」という言葉が報道機関で作られ、現在でも使用されています。「容疑者」についてはどのように感じられていますか?

呼び捨てでなくなっただけマシという感じです。殺人などの凶悪事件や現行犯であっても裁判までは覆るかもしれません。また、業務上過失致死の人間と、殺人犯などの凶悪犯を同じ扱いにしているのが気になります。

「容疑者」というともちろん容疑があるので、清廉潔白ではありません。ゴミ収集車の事故の場合、従業員が亡くなったことに対して道義的な責任はあります。それでも私が殺したり、現場にいて指示したりしたかというとそうではありません。事故の責任を取らせる人間と、強盗に入って何人も殺した人間となぜ同一に扱うのでしょうか。起訴もされていない人間をなぜ容疑者にするのでしょうか。

メディアは、そのつもりで書いていなかったというかもしれませんが、読んだ人は容疑者=犯人と連想すると思います。なので、判決が決まるまで 「〇〇さん」とか「〇〇氏」にするとか、私の場合でいうと「品野社長」などの敬称をつけるべきではないでしょうか。

現在のメディアの在り方について思うこと

呼び捨て報道訴訟後にメディアで使われるようになった「容疑者」という呼び方について話す品野隆史氏

Q.「容疑者」が使われるようになって35年ほど経ちましたが、現在のメディアに対して伝えたいことはありますか?
一番伝えたいのは、警察発表だけを鵜呑みにして一方的に報道せず、双方を取材することです。それが平等ですし、民主主義なら当たり前です。警察の発表が100%正しいとは限りません。冤罪事件が実際に起きているじゃないですか。疑われた人の名誉回復はどうしますか。そんな悲惨なことがいっぱいあります。

取材する記者が、「相手にも意見や言い分があるのでは?」と、中立の立場で、「品野さんはこう仰ってますけど、話が食い違っています」など、双方から話を聞くのは当たり前じゃないですか。人には基本的人権があります。それを無視して、一方の発表を鵜呑みにして書いて終わりですよ。私はそんなことでは収まりません。

報道者に私を裁く権利はあるのでしょうか。メディアも民間の一企業で、私たちと同じ立場です。ただ、報道と私たちが別部門の商売をやっている違いだけで、目的は営利です。報道の記事を書いて、新聞が売れるとかテレビの視聴率が伸びるという理由だけで、私を裁くのでしょうか。

今回のように警察の発表通りに書いていたら、例え間違っていても責任逃れができます。一方的に警察からの発表を鵜呑みにするのは、警察に忖度しているとも言えます。

事故が起こった当時、私のことが新聞に載ったことで、同じゴミ収集車の事故についての情報が私に集まってきました。その情報によると、1984年1月以降も同じメーカーの同じ車種での事故が全国で複数ありましたが、同じような事故が起こっていても、警察は自分たちの管轄の事故が終わったらそれ以上は調べません。新聞もそれぞれの事故のことを別々に報道するだけです。

私についても、書類送検されたことは報道しても、その後不起訴になったことは報道していません。伊勢新聞がその後、私に取材をして人権侵害について報道しただけです。

報道関係は公正に報道してほしいと思います。片手落ちした報道はいけません。なぜあのような事故が起きたのか、言い分もあるので、両方の意見を聞かないといけません。こちらにも手落ちはありました。100%正しいとは言いませんが、両方の意見を聞いて報道すべきです。

メディアの皆さんには忖度せずに報道していただきたいと思いますが、公共的なものならまだしも、営利が目的だと大手企業や警察などに忖度してしまうでしょう。私たちのような力のない立場の人間は何を書こうと損得関係ないという違いがあります。国民の基本的人権を無視せず、国民目線で報道していただきたいです。

<品野隆史氏の経歴>

一般廃棄物処理の会社を経営する品野隆史氏

運送業や産業廃棄物処分の事業を立ち上げて80名ほどの従業員が在籍。事故の影響で1988年に株式会社三陸は廃業。その後、大手企業からタイヤを引き取り加工して、国内や中近東、東南アジアへ輸出する事業を行い、現在は一般廃棄物処分の事業のみを行っている。

<ゴミ収集車の事故から呼び捨て報道訴訟の判決までの経緯>
1984年1月9日 ゴミ収集車の事故が発生し、亡くなった2名は8年のベテラン。操作ミスはなかった。
1984年4月20日 鳥羽警察署が品野氏を書類送検。
1984年4月21日 各社報道され、朝日新聞・毎日新聞・中部読売新聞(現・読売新聞中部支社)・伊勢新聞が呼び捨てで報道。中日新聞だけが”社長”をつけた。
地検は不起訴にするも、その内容は報道されなかった。
1984年6月 三重県と朝日新聞・毎日新聞・中部読売新聞を相手にそれぞれ1,100万円を支払うよう訴訟へ。
論点として、
・収集車に欠陥があった。
・鳥羽警察署の調べの怠りがあった。
・報道が警察署の調べを鵜呑みにして呼び捨てで報道した。

1988年7月21日 判決は、敗訴。
判決理由
・被疑者の敬称を省くのは長年の慣行である。
・被害者や市民の感情、社会通念を相対的に加味して判断した。
・報道機関は、捜査当局の発表を裏付け調査する義務はない。

1989年11月以降、新聞各社は送検段階での呼び捨て報道をやめている。

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