私は1年の浪人をした後、医学部に入り、6年間の学生生活を終えてから社会に出ました。そのため、高校卒業後すぐに社会に出た同級生と比べると7年遅く、4年制大学をストレート入学した同級生と比べると3年遅く社会に出たことになります。社会に出た、といっても一般の企業に入社をするのとは違い、私は研修医という立場を選びました。

医学生が卒業に際して臨むのが医師国家試験です。これに合格できなければ、医学部を卒業したとはいえ医師となることはできません。私は大学入学には1浪をしたものの、医師国家試験はストレートで合格することができました。ただ医師国家試験に合格した後は決められたマニュアルがあるわけではなく、自分で考えて行動しなければいけません。

私はずっと早く大人になりたいと考えていましたが、いざ大人になってみると何もかもが自由すぎて戸惑いました。何せこれまでは、半ば親に敷かれたレールに乗って歩んできていたのですから、突然自由にしていいと言われても困るのは当然だと思います。

私が医師を目指していたのは、私の意志ではなく、親がそう決めたからです。私は産婦人科開業医の長男で、親は私が医師になることを望みました。私もいずれは親の跡を継ぐのだろうと思い、産婦人科医として頑張らなければいけないと思っていたのですが、大学在学中に大病を患ってしまい、とてもではありませんが不眠不休で体力が必要な産婦人科医を目指すことはできなくなってしまったのです。

とはいえ、それでも親は私に医師になることを望んでいたので、この身体でも無理なくできるであろう老年病科を選び、そこの研修医となることを決意しました。

私が大学を卒業した時は、スーパーローテート方式が採用されていました。老年病科に所属した研修医が4人ですが、そんなに多くの研修医が同時に研修をすることができなかったため、私は最初に小児科で研修をすることになったのです。私の指導医は、小児科4年目の先生。この年齢での1年の経験の差は大きかったので、4年目小児科医といえば、当時の私からすれば神のような存在でした。

小児科外来、小児科入院病棟、NICU病棟、PICU病棟を先輩とともに、獅子奮迅の如く対応しながら研究、論文を完ぺきにこなす先輩は、本当に尊敬の一言に尽きました。指導医として素晴らしすぎる先輩です。

ちょうどこの時、コンビニ受診が始まっていた時でしたので、当直になると寝られません。患者さんが次から次へと夜中にもかかわらず来るからです。不規則な時間の中で働き続け、疲労困憊な状態が続いていました。さらに、患者のご両親に無理難題や難癖をつけられることもあります。そうした時は、愚痴を言ったり、飲み会でストレス発散したりして、自分を取り戻すことのできる先輩は、メンタルもなんて強いんだろうと思い尊敬をしていました。

3か月の小児科研修が終わり、私は所属する老年病科のローテートを始めたのですが、小児科で出会った素晴らしい先輩のことが忘れられません。自分があの素晴らしい先輩のようになれるのかどうか、身体的な不安もありましたが、先輩のような医師になりたいという気持ちを抑えることはできませんでした。こうして私は、老年病科ではなく小児科を選択し直し、憧れの先輩を目指して医師の道を究めることにしたのです。

小児科医になってみると、やっぱり身体的に厳しいこともありましたし、精神的にも厳しいこともありました。ですが、私の心に宿った憧れの先輩の姿は色あせることはなく、私の原動力になっています。

月日が流れ、ずっと憧れ、見上げ、背中を追い続けている先輩はというと、現在は大学医局の准教授になりました。今後は、教授になるとも言われています。あの先輩のことをすごい人だと思っていたのは私だけではなく、実際にそうだったということの証明になるでしょう。

元プロ野球選手そして監督である落合博満さんは他に類を見ないスタイルだけに、まさに、「オレ流」の真骨頂だと見られがちですが、実はお手本となる打者がいました。そして彼はこんなことを言っています。

「人が成長するには、お手本とする人を見つけてその人目指すのだ。たとえそれが自分には合っていなかったら、それはそれでまた新たに新しいお手本を探せばよい」

と。言葉というものは人に何という影響を与えるのでしょうか。

現在私は50歳。研修医になり、私の原動力となっていた先輩と出会ってから25年の月日が流れています。どれだけ追いかけ続けても、先輩を超えることはできませんでしたが、医師としての指針となった先輩に早い段階で巡り合えたのは、幸運でした。今の私がいるのは、まぎれもなく先輩のおかげです。

先輩と出会わなければ、そもそも小児科医にはなっていなかったでしょう。老年病科で医師として患者を診ていたかもしれません。小児科、老年病科。どちらが正しい道だったのかは、わかりません。ですが少なくとも、小児科医を選んだ私は後悔をしていませんし、誇らしい気持ちもあります。

先輩が教授になった時には、これまでのお礼も兼ねて、お花でも送ろうと考えています。

ライター名:秋谷進

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