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平凡な人生/劇的な人生
- 2023/7/23
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- 佳作, 第2回ライティングコンテスト
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大学時代に当時付き合っていた彼女の影響である劇団の芝居を観に行った。その芝居に衝撃を受け、僕はその後その劇団でスタッフをすることになった。あれから17年が経った。今思うとあの日に僕の人生の進路が変わった。大きな船が舵を切って直進から右か左に船体を傾けて曲がっていくように僕の人生は何かに引っ張られるように進路を変えた。今僕は劇場で働いている。
母からは小さい頃から公務員になることを期待されていた。「安定」。母はそれを求めていた。そして僕に安定が幸せなのだと彼女は僕に持論を押し付けた。僕は彼女の圧力を嫌だと感じつつもあまり抵抗はしなかった。僕の後に弟と妹がいたことも僕の判断に多少影響を与えた。母はいつもうちにはお金がないから公立に言ってねと圧力をかけた。僕は家計の実態を知らなかったから彼女の言葉を鵜呑みにし、できるだけお金がかからない道を選ぶように誘導された。高校受験でのチャレンジを避け家から近所の無難な高校に入学した。大学受験でも同様で家から通える公立大学に入学した。社会人になってから振り返ると受験したい学校があったが、後の祭だった。
ある日スティーブ・ジョブズが大学の卒業式で卒業生に向けて行ったスピーチを見た。彼は今から未来へ向けて直線的な未来を描くのではなく、今から過去を振り返って、今に繋がる種を見つけて今から過去に向けて線を結ぶということを言っていた。将来の夢や自分の意思もしっかりと持たず、その場その場の出来事に影響を受けて流されるようにこれまでの人生を送って来てしまったと後悔していた。そんな僕は彼のスピーチに大いに励まされた。脈絡もなく流されてきた意思の弱い自分という頼りない印象から、朧げながらも幼い頃から一貫している考え方や姿勢が立ち上がって見えてきた。
きちんとした就職活動をしなかったことがずっと気になっていた。元々、会社に勤めるということが出来そうもないという自己イメージを持っていたから、就活には消極的だった。大学時代に関わることになった劇団は、当初は一つの公演が終わったら止めようと思っていた。しかし、その劇団が人手不足だったため有償スタッフにならないかと請われ、アルバイトの感覚でそのオファーを引き受けた。
気づいたら作品作りに追われ、3ヶ月休みなく朝から晩まで働くというペースに巻き込まれて身動きが取れなくなっていた。こんな働き方では今後長く続けることは出来ないと感じていた。だから、その劇団に3年間勤めた後、退職することになった時に、これからの進路を考えた時に、真っ先に別の分野での就職を考えた。しかし、その劇団時代にお世話になった小劇場の小家主の方から声をかけていただき、公立劇場に就職することになった。劇団時代とは違って、週に2日は休みがあった。作品作りが佳境に入ると、稽古場は朝から晩までというペースになったが、演劇制作の事務の仕事では稽古場のペースに合わせる人とそうでない人がいた。
仕事を始めて初めて自分の時間を作ることが出来た。一年契約と安定しない身分ではあったが、これならばこれから10年、20年と長く働き続けることが出来るかもしれないと思った。ひょんなことから熊本に移住することになった。2016年のことだった。引っ越した先で被災した。初めての土地で勝手がわからない中で余震が断続的に長く続き身も心も落ち着かなかった。体の緊張や強張りが取れなかった。
不安な気持ちを抱えながら全てを投げ出したくなって当時付き合っていた彼女とも別れることになった。関西にいた時には良く観ていた演劇が見られずに、代わりに是枝裕和監督の映画を片端から観ていた。彼は家族を描いていた。しかもその家族を形作る一人一人はどこかしら、何かしら欠損を抱えていて、そんな一人一人が集まって一つの円を描こうとして踠いているそんな印象を受けた。僕は家族を求めていた。
その後、妻と出会い、結婚し、双子の娘が生まれ、彼女達は2歳半になった。大学時代には思ってもいなかった所まで来てしまった。その時その時で迷い悩んで選んできた道が蛇行しながらも今に繋がっている。最近人生が楽しくなってきた。平凡だと思っていた僕の人生は見方を変えれば劇的な人生でもあったと思い返す日々である。
ライター名:貴田雄介