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西武新宿線の踏切が立体交差化で消える日
- 2023/10/26
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カンカンと鳴り響く警報音。
大きな音と振動で、目の前を通り過ぎていく電車。
向こう側に知り合いがいて、挨拶をする。
そんな、日常生活に溶け込んだ踏切がなくなってしまった後には、どんな風景になるのだろう。住み慣れた街が変化していく様子を、私はまだ想像できないままでいるのです。
令和5年9月現在、東京都内に伸びる線路の多くは、立体交差化が進んでいます。国土交通省によると、昭和43年に連続立体交差事業の制度を創設以来、これまでに全国約1,700箇所の踏切を除却したとしています。
私が住む街は、都内の私鉄の中では少し珍しい、他社との乗り入れを行っていない西武新宿線沿い。
良い点といえば、他社で起きた遅延に巻き込まれないこと。
悪い点といえば、いつまでも駅周辺の再開発が進まず、商店街が寂れていくこと。
パッと見では開いているのかわからない、あまり商売っ気のない和菓子屋や酒屋。
一応出店しておくか、と来てくれたような大手飲食チェーン店。
地元の人だけが集まる、小さな飲み屋。
一応24時間開いているコンビニエンスストア。
でも、私はそんな、ちょっと心配になるようなこの街が好きなのです。
どことも関わらない、のんびり、マイペースな西武新宿線にも、線路の立体交差化事業はゆっくりゆっくりと進んできています。もちろん、朝や夕方の『開かずの踏切』に悩まされた経験があるので、立体交差化は嬉しい話。
踏切にずらっと並ぶ車や自転車。
開いた瞬間に鳴り響く、警報音。
朝は「こんなに待つなら、あと数分は寝坊しても良かったんじゃない?」
夕方は「ああ!またお迎えの時間に遅れちゃう…」
なんて、イライラしながら待つ踏切は、実際にかかった時間の数倍にも感じますよね。
そんな煩わしい踏切がなくなるのだから、嬉しいはずなのに。まだ『検討中』とはいえ、確実に、そのマイペースさを表した速度で進んでくる立体交差化が、いつまでも来なければいいな、なんて思う自分もいるのです。
その理由は、思い出があるから。
毎日ストレスを感じる踏切だけど、家族と過ごした思い出ばかり。今はもう7歳になっている娘がまだ赤ちゃんだった頃、線路沿いの音楽教室に通っていました。
振り返れば、初めての経験の連続に不安を抱えて育児ノイローゼ気味だった私が、唯一週に1度だけ出かける予定でした。
やさしい先生が奏でるピアノの音、動物の鳴き声をマネしながら歌う声。家での向き合い方とは違い、娘の成長を客観的に見つめられる教室は、私にとってとても大切な場所でした。
ガタンガタン、いうよりは、ドドンドドンと書く方が伝わるような、まるで地響きのような音を立てて通る電車。教室のガラス戸の向こうを電車が通っていくと、子どもたちは勝手にレッスンを中断して電車にくぎ付け。それは、ハイハイする赤ちゃんの頃だけでなく、2歳、3歳と成長しても、幼稚園に入っても変わりませんでした。
「きいろいでんしゃがいくね!」
「さっきはあおだったよ!」
電車の色まで話せるようになった、娘を含む子どもたちの成長がほほえましかったこと、今でも電車を見るたびに思い出します。
立体交差化してしまえば、きっと『きいろいでんしゃ』も『あおいでんしゃ』も地下化して見えなくなくなるのでしょう。あの頃、自分が初めての子育てに抱えていた、うまく言葉にできない不安感や焦燥感といった思い出まで、少し薄れてしまう気がしています。
「まま、でんしゃとおるね!」
と話しかけてくれる娘に、疲れ切ってきちんと返事ができなかった日も。
「でんしゃみてからかえりたい!」
という娘に付き合って、踏切から何本も電車を見送った日も。
私にとっては、大切な思い出なのです。
とは言え、街も人も変わっていくもの。いつか、西武新宿線の踏切が立体交差化で消える日は、必ず来ます。
思い出を失う寂しさと、得られる便利さへの期待が併存する複雑な気持ちは、今だけしか味わえないもの。自分の中にあるこの奇妙に交じり合う想いを、しばらくは楽しむこととします。
立体交差化が実現するころには、きっと私の身長に届くほど大きくなっている娘に
「昔はここに線路があって、小さなあなたと一緒に、何度も電車を見たのよ」
なんて、話す日を想像しながら。
ライター:りさこぐま