ライティングコンテスト佳作

研修医を終えて、医師として医師人生のスタート。私は研修医をしていた石川県から、東京で一から小児神経学を学ぼうと転居しました。これだけ聞くと、素晴らしいスタートを切ったかのように思うかもしれません。ですが実際は少々違います。

もともと私は、研修医を終えて4月からも石川県の金沢にある大学病院で働く予定でした。ですが、3月15日に、1月に面接を受けていて返事の来なかった東京の病院から連絡があったのです。

「枠があいているから東京で小児神経学を勉強しないか?」

なんと採用の連絡です。当時の私は、その連絡に舞い上がりました。大人になった今であれば、そういう連絡がきても、4月まであと2週間。2週間後から働く場所も決まっていたわけですから、そちらの方をどうにかしてから東京の病院に返事をするべきだということはわかります。ですが若い私には、そんな考えも浮かばず、

「はい、よろしくお願いいたします!」

と、その場で返事をしてしまったのです。私は承諾の返事をしてから、金沢の大学病院の教授と医局に話しました。結果、私の行動に対してOKしてはくれませんでした。当然のことです。結局は医局長が折れてくれたため、金沢の大学病院で働くということが取り消しにはなりましたが、私はケンカ同然に飛び出した、みたいなものです。

金沢の大学病院とのケリがついても、話しはまだ終わりません。私は金沢に住んでいるわけですから、東京の病院に行くためには引っ越しが必要です。ですが、世間一般の引っ越しシーズン真っ只中。私はすぐに賃貸物件を探し始めましたが、好条件の物件はありません。

とにかく妥協できる物件はないかと、不動産屋と物件を1日回って、ようやく契約しました。ただその物件は、病院までの距離は圧倒的に近かったのですが、リビングが三角形、その上、吹き抜けになっており、暖房は2階。部屋全体があったまるのには大分時間がかかるという問題がありました。

それでも契約ができれば、次の行動に移せます。次は引っ越し業者です。当然ながら条件のいい引っ越し業者とは契約ができませんでした。仕方がないので、宅急便で3月30日に最低限の荷物が届くようにしました。残りの荷物は、同僚に無理を言って引き続き引っ越し業者探しをしてもらい、準備を進めました。

3月30日。少しの荷物と私だけが、新しい家にいました。寝具類は後から来ることになっていたので、私はフローリングの部屋で毛布一枚にくるまり寝るしかありません。ただ運の悪いことに、3月も終わりだというのに寒い日が続いており、暖房があってもなかなか寝付けません。暖房の風を直接体に当ててはいけないとも思っていたので、段ボールで壁を作って寝ることにしました。

ただ、夜になって毛布にくるまっていると、「本当にこれでよかったのか」という不安が募ってきます。大学医学部を卒業して研修医になった時も、大人たちの中に入って不安になったものです。それが今度は、全く新しい土地で、知らない大人ばかりの所に入っていくわけです。不安にならない方がおかしいというもの。

3月31日。夕方になり、ようやく金沢から私の荷物が届きました。ですが、ギリギリまで仕事をしていたこともあって、梱包は適当。そのため、運ばれてきたものは壊れているものが多く、馴染みのあったものはガラクタになっていました。壊れたのであれば、新しいのを買う必要があるのですが、土地勘がありません。それにもう明日は新しい場所での仕事が始まります。私は買い出しを諦めて、家にこもりました。

明日は6時には起きたいので、早めに布団に入ったのですが、目をつぶっては目を開け、1時、2時、3時と時間だけが過ぎていきます。目を開けるからいけないんだと思って、目を開けるのを我慢して、今度こそ6時だと思っても、15分しか経っていないというようなことを繰り返しました。

そして5時になり、ようやく後1時間かと思って目を開けると、6時10分。朝方になって寝落ちしていたようです。私は慌てて卵かけご飯を食べて、出社しようとしたのですが、すぐにトイレに駆け込んで嘔吐。不安と緊張が原因だったのかもしれません。とりあえず吐き出せるものは全て吐いてから出社しました。

東京の病院は国立病院ということもあり、国家公務員として入庁式に出ました。すると時間に間に合った安心感からかすさまじい眠気が襲ってきます。私は上唇をなめるとあくびが出ないと知っていたので、上唇をなめ、太ももをつねり必死に耐えました。

無事、入庁式が終わり、今度は国立病院に移動して辞令式です。入庁式は耐えられたのですが、辞令式では少し気を緩めたすきに思いっきり眠ってしまいました。ガクンと寝ている間に身体が動いた後に、上司に抱えられて会議室から連れ出され、説教をされました。

「こんなのはじめてだぞ!」

病院中で私は話題になっていました。入庁式でべろべろ上唇をなめていた医師がいる。辞令式で寝落ちした医師がいる。それが同一人物、私のことだとみんなに知れ渡ったのでした。

周りの視線も気になり、ますます不安と緊張の日々。昼はコンビニ弁当。夜は家で料理。ただ、コンビニ弁当は身体が受け付けず、買っても残してばかりでした。そして朝は毎日大好きな卵かけご飯を食べては、毎日吐いていました。これは10年後にわかることなのですが、私はどうやら体質が変わって卵アレルギーになっていたようです。そのため、身体が受け付けず吐いていたということを知りました。

4月の終わりには結婚を約束した彼女がやって来たのですが、私のあまりのすさみようにびっくりしていました。こんなふうに散々な滑り出しで、私の小児神経学研修はスタートしたのでした。

ライター名:秋谷 進

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