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鬼のごとく厳しい、星のような私の先輩
- 2023/7/23
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- 佳作, 第2回ライティングコンテスト
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自分にも他人にも厳しい。ミスはしない。言い訳はしない。何事も論理的に説明する。私が仕事をする上で持っている基本的な姿勢は、すべて、ある人から受け継いだものだ。
その人は冴原吉秋(さえばらよしあき)という名前の先輩だ。私が新卒の頃、IT系エンジニアとして初めて配属された現場で教育してくれた。彼はまだ20代だったが、その現場に5年も居るせいで誰よりも経験が長く、また隙のない仕事ぶりで周りからの信頼も厚い、ヌシのような存在になっていた。
冴原さんは徹底して容赦のない性格だった。大型ネットワーク機器を取り扱う仕事の中、ちょっとした操作のミスはさることながら、少し操作を手間取ったり、操作がおぼつかなかったりしただけで激しい叱責が飛ぶ。
また、行動の一つ一つに完璧な論理性を求められた。ことあるごとに、「今なんでそれをしようと思ったの?」と聞かれるのだ。
言葉は優しいが、彼がそう聞く時は常に、『しっかりお前を評価するぞ』というものすごい圧が漂っている。あまりの恐怖に黙り込んだり言葉に詰まると、「自分で説明できないような仕事するんじゃねえよ!」と怒られた。
説明している途中、間違っているところがあると段々相槌が減っていき、最後には無言になるので、私も途中で何かまずいぞと気づき尻すぼみになっていく。すると「一回話し出したら自信もって最後まで説明しろよ!」とまた怒られる。
かといって、間違っているのだから、最後まで話しても怒られるのだ。その後怒られるのが分かっているのに自信満々に説明し続けるのはサイコパスではないか。当時の私はこの人が怖くてしょうがなかった。
終いにはPCに画面共有ソフトを入れられた。離れた居室で監視されており、私のPC操作がおぼつかないと秒で内線電話がかかってきて怒られる。
こんな調子で何をやっても毎日怒られるので、機械室で一人の時に泣いていることも多かった。しかもなぜかバレていて、「一人で泣いてることもあったもんね」と後に擦られた。やりすぎじゃないかと思う。
でも冴原さんは本当に仕事のできる人だった。ミスしたところをほとんど見たことがない。私は普段の怨みを込めて彼の誤字脱字を探すことに心血を注いだが、一、二回しか見つけられなかった。お客様とのお付き合いや各種報告書の作成・説明・プレゼンと何をやらせても早いしソツが無い。他の先輩たちも、冴原さんには一目置いていた。
それだけでなく、勉強家で、仕事中暇があると、よく分厚い英語の技術書を読んでいた。資格の取得にも余念がない。私も資格マニアで、たまたま、彼が持っておらず私が持っている資格があったのだが、彼の美学的に許せなかったらしく、いつの間にかより上位の資格を取って涼しい顔をしていた。負けず嫌いである。
そう、彼は人にも自分にも厳しい人だったし、私に厳しくする以上は、自分にはそれ以上に厳しくするため常に気を張っていたと思う。ペーペーだった私にもそれは分かっていた。だから怒られて辛いことはあっても、彼を尊敬していた。
結局、私は1年と少しでその現場を離れ、さらに過酷な現場に異動することになった。でもそれと同時期、冴原さんも何だか知らないが「面接したら受かった」と官公庁への転職が決まった。
異色のキャリアパスだが、当時の現場にはもったいない人材だったから、良かったと思う。彼のポテンシャルを見抜いた面接官がいたのだろう。
冴原さんは離職する際、「お前には教えられることは全部教えたから。あとはがんばって」と声を掛けてくれた。私は「はい」と答えて、泣いた。私は彼がずっと同じ会社で、成長を見守っていてくれるものだと思っていたのだ。
それから私も社会人経験を重ね、自分も人を教育する立場になって分かった。冴原さんがやったように人を教育するのは本人にとっても大きな負担だ。誰だって嫌われたくない。だから後輩にもなあなあに接するし、細かいところを詰めたりしない。
それに、エンジニアとしてキャリアを積むうえで、ミスしないことや、論理的に考えてそれを人に説明するスキルは得難い。彼はそれらを教えようとしてくれた。私が今後のキャリアで、どんな試練があっても乗り越えていけるように願って。
それからも、常に、冴原さんが今の私を見たらどう思うだろうかと自分を振り返ってきた。仕事が成功しても、失敗しても、私が背を負うのは常に冴原さんであり続けた。だって、彼よりも能力の高い人にはほとんど会ったことがない。私に本気で向き合ってくれた人も他にいない。
数年の後、当時のことを知る人に、「こんなことしてたら冴原さんに怒られちゃうなって思うんですよ」と話したら、「まだそんなこと思い出すの?」と心底びっくりされた。でも私が仕事をする時、どんな場面でも、私の基準は冴原さんなのだ。だから一緒に働いていなくても、二度とそんな機会がないとしても、私の仕事の中にはずっと、冴原さんがいる。
私が新卒で入社した当時、彼はまだ28歳だった。そして今、私は当時だいぶ大人に思えた彼の年齢を超えて久しい。彼を星のように見上げて働いて来た長い年月で、28歳の彼よりは仕事ができる人間になれたと思う。それでも私の仕事の根っこには、冴原さんがずっといる。
私は彼が大好きだ。今も仕事をするたびに、彼の存在を思う。
ライター名:YeKu