「あのさぁ、あれだよ、あれ」「あれ、なんだっけ、あの、あれあれ」

37歳になった夫は、普段の会話のなかで「あれ」をよく使う。というかほとんど「あれ」で構成されている気がする・・・。本当は単語が出てくるのを粘り強く待ったほうが当人のためになるのだろうとは思いつつ、しかしそれを待つよりも先に「●●でしょう」「〇〇だよね」と答えを与えてしまう私。待っていられないのである。

5年前に結婚した当初はそこまでではなかったはず。もしかして、私が甘やかしてしまったからだろうか?あと10年後には私の名前すら「あれ、なんて名前だっけ」なんて言われてしまうのだろうか。ショックを通り越してどうかなってしまうかもしれない。

それだけではない。さっき「今日の夕ご飯はハンバーグと、わかめときゅうりの酢の物にしようね」と言ってスーパーに来たはずなのに、「あれ、なんだっけ、今日の献立」と、この調子である。以前、ひとつでも多くの単語を引き出そうとしりとりを試みたこともあった。

りんご、ごりら、らっぱ、ぱせり・・・。はじめはオーソドックスなものから始まった。しかし30分ほどすると明らかに詰まり始めた。うーんうーんアレだよ、と言ってこちらをちらりと見ても無視する。なに考えてるんだ、しりとりで答えを教えたらしりとりじゃないじゃないのよ。

それだけではない(もう少しだけお付き合いくださいね)。つい先日、その経緯は覚えていないが、会話の中で

「あれだよ、あれ。秋のさ、白いふわふわしたやつ」

と、もどかしそうに言うではないか!まさか、それは、ス、ススキじゃないだろうなと思いつつ

「ススキのこと?」

と聞くと、そうそう!などと言っている。驚きを通り越して感動すらした。日本人で、ススキってワードが出てこないひと、いる?逆にどうやったら頭のなかからススキを消せるのか?驚く私に対して、本人はけろりんしていた。

そんな毎日のなかで、「さっき言ったじゃん」いつしかこれが私の口癖になってしまった。夫と一緒にいるとき、私は彼の辞書、あるいは国語辞典になっている。

彼によると、自分が忘れっぽいのは、単にそのものに対する興味が薄いのであって、仕事や興味のあることなどはちゃんと覚えているのだという。しかし、たった10分前の会話で出たワードを忘れるというのはどうなんだ。

ある日2人でテレビを見ていた。なんの特集だっただろうか、子どもが出ていた。泣いたり笑ったり驚いたり、実に感情豊かだ。大人になるとこうやって驚いたりしないよね、子どものころに比べると、感受性が劣ってきてる気がする、と私が呟いた。すると夫から

「そりゃそうだよ。子どもって、この世界の初心者だもん」

という返答が返ってきた。この世界の初心者!なんて、的を得ていて、それでいて素敵な表現だろう!感動していると夫がこう続けた。

「赤ちゃんとか、子どもはさ、生まれて間もないじゃない。だから、見るもの、触れるもの、経験するものすべてが新鮮なんだと思うよ」

確かにそうかもしれない。私だって、はじめて経験することであれば、むき出しの感情のままで素直に笑ったり驚いたりするに違いない。土の香りに感じる春の訪れ。草花の静脈。虫の声の聴き分け。ねっとりとした夏の夜の暑さ。秋の日差しの切なさ。子どもの頃はそういった季節や、自然や、ひととの会話にいたるまですべてが鮮明だった。

息苦しいほどすべてが濃密で、いまのように俯瞰でなく、自分と対象の距離がとても近かったように思う。大人になったいまも、時々ふっと、立ち止まることがある。何かを思い出しそうな気がして。それはきっと子どもの頃の記憶や思い出なのだろう。

この世界の初心者。魔法の呪文のようにときどきつぶやく。そのたびに私も初心者でありたいと思う。毎日、なにかと出会い、感動し、心豊かでありたいとも思う。それはときとして「ススキ」すら出てこない夫が思いがけず教えてくれた素敵なこと。

ライター名:大塚遥香(おおつかはるか)

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