海外と日本を結ぶ経営者・堀部太一、死の淵からの復活劇

海外と日本を結ぶ経営者・堀部太一

3DメガネやVR機器も要らない新しい3D技術である「裸眼3D」の可能性に気付いて起業、事業展開をしてきた堀部太一氏について前編では記しました。後編では19歳で病床に伏した事をきっかけに、自身の将来を変えるために全く未知だった中国へ渡航。死の淵からの復活や障害の克服、海外での経験、そして起業など山あり谷ありの人生を過ごしてきた堀部氏の深層に隠れた真相にせまります。

 10代で味わった絶望と、起死回生で海外へ

ー19歳で病床に伏したことをきっかけにとありましたが、実際に何があったのでしょうか?

1996年、19歳の12月31日の大晦日、突然起こった出来事です。実家で自分の部屋にいた時、いきなり倒れました。後頭部を巨大なハンマーで殴られるような頭痛が急に押し寄せ嘔吐が始まりました。そして左半身の感覚が消え失せ、声を出す事も起き上がる事も出来ず、かろうじて壁をドンドンと蹴る事で、異変に気付いた親が救急車を呼んでくれました。

緊急搬送された私は20時間ほどオペを受け、元日早々ICUに入りました。原因は、脳内血管破裂。意識が回復した時は、チューブに繋がれ話す事も起き上がる事もできない左半身付随になりました。これから成人式を迎え多くの夢があった私には絶望しかありませんでした。

その後、再発とリハビリを繰り返し、数度のオペでようやく自分の人生をゆっくり考えられる状態まで回復しました。入院前まではプログラミングを学ぶ以外に、音楽活動など普通の青年なみに夢を追っていました。

でもこの出来事を切っかけに人生を見つめなおし、「人ができないことをやりたい」「世界から日本を見ることができる大人になりたい」「世界中どこでも生きていけるような力を身につけたい」と思い立ったんです。

そこで海外へ行く事を決めました。漠然と「世界経済発展のフロンティアを自分の目で見てみたい」と考え、中国を選びました。中国は、宗教や食事の弊害がほぼなく、人種や文化問わず誰でも行きやすい面があり、もしかしたら爆発的に経済が伸び技術革命が起こり大国に生まれ変わる世界最後の国かなと思ったからです。

そして1997年7月に退院し、翌月8月末に中国へ行きました。中国語は全く喋れませんでしたが、すぐ行動へ起こしたのです。飛行機の中で「本当に“ニーハオ”は“こんにちは”と同義なのかな?自分の勝手な思い込みだったらどうしよう…」とビビりまくったのを覚えています(笑)

海外での言語習得と起業経験

ー全く話せない状態から中国でどのようにして言葉をマスターしたのでしょうか?

20歳になる年に中国東北部の大連という場所に降り立ち、まずは中国語を徹底的に勉強しました。中国語をまったく話せない頃は強引に博多弁で友達を作ったりもしました(笑)。あの頃は本当に毎日が戦いでしたね。

毎日中国語授業に行き、その日勉強した単語を手のひらに書き、授業が終わり次第近くの市場で話し相手を探し、手のひらの単語を実践し一つひとつマスターしていきました。当時は本当に注意深く中国の方の発音をそっくり真似ることを研究していました。

ただ学校の先生の中国語に訛りがあったので、「正しい発音がどれなのか?」に数か月かけたこともありました。その頃は毎日一人でリハビリ代わりに遠方の針治療に行っていたので、言葉の鍛錬にもなっていたと思います。鍼灸ドクターの先生方には本当の孫のように可愛がってもらいました。

中国語をマスターした後、世界経済を学びたくて中国全土の大学を探し北京での大学進学を決めました。その大学は難易度が高いうr、英語力でも有名だったので受験したのですが、合格通知の電話を受けた時はびっくりしました。もし受かってなかったらその日の夜行列車で別の大学を受験しに行くつもりでしたので(笑)。

北京の大学では日本人生徒が少なかったので、中国人や外国人の友達をつくることに力を入れていました。大学の外でも積極的に触れ合いを求め、必死で色々な異文化の友人を作り遊んでいました。世界中の友達と異文化に触れられる毎日は本当に刺激的でした。

同時に、英語と中国語ができれば世界中どこでも生きて行けるなって実感しましたね。また日本文化への羨望のまなざしを受ける事もあったので、母国への感謝の念と日本人のアイデンティティの大切さも感じていました。

中国に来て計6年が経過、中国の躍進を肌で感じていました。就職は英語も使えて華僑もいるエリアで国際ビジネスを経験したいと思っていました。卒業の年にちょうど初代コロナ伝染病であるSARS(サーズ)がまん延したので大した就活は出来なかったですが、運よく香港の企業に就職できました。

ーただでさえ大変な海外生活、どのように起業に至ったのでしょうか?

香港では国際貿易や物流などもやっているデベロッパーの会社に入り、多くのことを学びました。幸いその会社は香港でも有名で、日本の上場企業とのビジネスをする一方で世界的にも有名な企業との取引が多く、大きなプロジェクトもたくさん任せてもらえました。

中国政府との事業では多くの要人ともお会いできたほか、社内で部署の立ち上げや新規ビジネスも始めたり、なかなかできない経験をさせて頂きました。今でもご挨拶などさせて頂いていますが、経営陣の方々には本当に頭が上がりません。

20代後半では自分の部署も持ち、部下の人生を担う責任については苦悩と試行錯誤の連続でした。彼らとは上下関係なく毎日本音でぶつかり合い、仲間として、時には笑顔で時には涙しながらお互いを高めあいました。仲間というか家族というか、今でも連絡は取りあっていますが、彼らのおかげで成長できましたし感謝しかありません。

当初配属された既存の部署が軌道に乗り更に新しく立ち上げた部署で奮闘しているなか、上海で新会社の設立とその責任者としてオファーをされた時、今まで燻っていた“独立”という思いが強くなり起業という道を選びました。その瞬間は色々な迷いはありましたが、「新しい景色を見てみたい」の一心でした。

そののち香港で起業、再生医療事業や広東省の国際ショッピングモールの立ち上げなど、中国の国内事業に多く携わりました。この事業においては中国全土を飛び回ることが多く、この時期に香港での商工会の立ち上げなども行いました。

紆余曲折ありましたが多くのビジネスの出会いのなかで、今の仲間たちとの想いが強くなり、裸眼3D技術の事業の研究開発を始めました。当時は手探り状態で本当に壁ばかりでした。

世界を見据え日本での事業基盤づくり

ーこれからは日本で活動していくのですか?

海外にいると毎日何かしら刺激的なことがあるんです。だから今まではあまり日本に帰ってきたいという思いは無かったのですが、今回たまたまコロナで帰ってきました。20歳のころからずっと海外でやりたいことをやってきたので、今回を機に本格的に日本で「裸眼3D技術」を広げていきたいと思っています。

通算20年くらいは海外にいましたが、今後は日本を拠点に、まずは日本人として日本できちんと事業ベースを固めていきます。自分がしっかりとこの事業を楽しんで、周りの仲間やパートナーとも、ビジネスとしてWinWinで高め合えるように事業を推進していければ幸せだと思います。

新しい技術を広めると共に自分の海外の経験を日本の何かに活かしていきたい。日本の技術と融合して海外でも通用する新しい技術として進化していきたい。もしくは自分のように病気や事故で大変な思いをした方、たくさん諦めてきた方に「何とかなるんだよ」って明るく伝えていけたら本望ですね。

そのためにはもっと自分の世界を広げなければならないし、足りない部分を補わなければいけない。やりたい事はたくさんあるし、まだまだこれからです。そういう意味では楽しみで仕方ありませんね(笑)

何よりも自分が納得いく物を創り上げていく、そういう事業にしていきます。

(プロフィール)

堀部 太一(TAICHI HORIBE)
https://mdisplay-tech.com/company/

マジックディスプレイテクノロジジャパン株式会社(Magic Display Technology Japan Co., Ltd)
https://mdisplay-tech.com/

■経歴
1997年:19歳で病床に伏した事をきっかけに、人生を変える為に単身中国へ留学、言葉や文化を学ぶ。
1999年:中国中央政府、教育部(教育庁)直轄の国家重点大学、対外経済貿易大学/UIBEにて国際経済貿易学部を専攻。
2003年~:香港・中国・日本・アメリカにてビジネスに従事。

言語:日本語・英語・中国語(北京語・広東語)

■事業内容
3D眼鏡やVR無しで見る「裸眼3D技術」事業を推進。
① ハードウェア:裸眼3Dディスプレイ
② ソフトウェア:2D映像3D変換AIアルゴリズム
の両軸で・eスポーツ・広告・医療と教育、をメインに展開。

↓前編の記事はこちら

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