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ナゴヤドームの空に飛ぶ
- 2023/7/23
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幼少期からの友人が結婚した。大学2年生の頃から一度就職で遠距離の期間を挟みながら、7年の交際を経ての結婚だった。めでたいことに、友人の妻になった彼女のお腹の中には、2人の血を分けあった新しい命が芽吹いていおり、か細くも懸命に、すくすくと育ってきているそうだ。友人がそっと優しく撫でる彼女のお腹は、沢山の愛と幸せを詰め込んだ豊潤な果実のように丸く大きくなっている。
純白のドレスを纏った彼女と、隣に座る友人が見つめあってこれ以上ないほど、幸せそうな笑みを浮かべている。その微笑ましい光景を遠くから見ていた私の胸中には、素直な「おめでとう」という気持ちと、つい数年前まで学生だった自分達が、現実的に結婚という選択を選ぶ年齢になってしまったことを嘆くような、式場にはあまりに不釣り合いな感情が渦巻いてた。
私には結婚願望がない。恋人なんかいらないと強がっているわけでは決してない、はず。理由は簡単に言えば2つ。誰かと自分が一緒に生活している姿が思い描けないのと、ただ純粋に子供が苦手なのだ。
勿論、この今の時代、別居婚なんて言葉もあるし、結婚=子供というわけでもはないだろう。それは分かっているつもりだった。けれども、それはやはり私の主張でしかない。
もし仮に、私が結婚を視野にいれるほどの最愛の人を見つけたとしよう。
その人が子供を熱望する人だったら?
同じ家で暮らさない家族は家族と言うのかと否定したら?
私はその人と一緒にいることを諦めるのだろうか?
それまでのお互いの時間を無駄にしてその選択を取る覚悟は私にあるだろうか?
では、一緒にいるために相手の希望に合わせて子作りに励むのだろうか?
それで私は「幸せ」なのだろうか?
「幸せ」って一体何だろう?
いつもそうやって答えのない自問を繰り返してしまう。あまりにも結婚式の最中に考えるには不健全な思考だった。とにかく今日は、彼らの幸せを願おう。私はそう思い、手紙を読み終えた友人に向かって、大きな声で「おめでとう!」と自席から叫んだ。
2次会まで出席し、友人たちと別れて家に着いた頃には日付が回る直前だった。式に参列するためにクリーニングに出したばかりのスーツを雑に脱ぎ捨てて軽くシャワーを浴びた。程よくアルコールが回った火照る肌にかかる40度のお湯が心地良かった。
浴室から出て床に落ちていたテレビのリモコンを拾いスイッチを押す。チャンネルはどこに変えてもニュースか知らない芸人と女優がロケをしている番組しかやっていなかった。昔はもっと面白い番組がやっていた気がしてしまうのは、あまりにも今の日常に娯楽が溢れ過ぎてしまったからなのだろうかと、最近思う。スマホどころか携帯も持っていなかった頃は、学校から帰ってテレビを見るのを心から楽しみにしていたのになぁ、とついつい感傷に浸ってしまう。
見たい番組が見つけられず、ため息をつきながらテレビを消そうとした時、ニュース番組の中で野球の特番が始まった。各チームの対戦結果やその試合のファインプレー映像が流されていく。選手の目が今日はやけに輝いて見えた。映像が切り替わり、見覚えのある球場が映し出される。名前が変わったばかりのバンテリンドームだ。今日の中日ドラゴンズ対ヤクルトスワローズの試合は、3対1で中日が勝ったようだ。決勝ホームランを打ったビシエド選手のガッツポーズと、歓喜する観客の様子が映し出されている。観客席からグラウンドを見下ろすような角度で映し出される映像を見て、意図せず「懐かしいなぁ」という言葉が溢れた。
昔一度だけ、父と一緒にナゴヤドームに試合を見に行ったことがある。野球少年だったわけでもなく、熱心なドラゴンズファンだったわけでもないが、私が「行ってみたい!」と駄々を捏ねて父に連れて行ってもらったのだ。その翌週、父は平日に午後休をとり、私は小学校をずる休みして、電車を乗り継ぎナゴヤドームに乗り込んだ。父は「折角だから」と言って、内野のS席のチケットを取り、私にその日先発の川上憲伸投手のユニフォームと、応援用のメガフォンを買ってくれた。初めて見るドームの景色と、テレビの中の人達だった選手の姿を見て、年相応にはしゃいだのを覚えている。
当時ナゴヤドームでは、試合が始まる前にドラゴンズのオフィシャルパフォーマンスチームである「チアドラゴンズ」が観客に向けてランチャーのような空気砲を用いてボールをプレゼントしてくれるイベントがあった。(今もやっているかもしれないが)飛んできたボールを取ることが出来た人は、後で選手のサインボールと交換して貰える特典が貰えたのだ。
「ボール飛んでくるかな?」と私は隣の父に言う。
「飛んでくるといいね」と父は大きな手で私の頭を撫でた。
チアドラゴンズの1人が私たちのいる観客席に向かって青色のランチャーを構える。場内には十からカウントダウンが始まった。内野S席は、ファウル防止ネットから比較的近い位置にあり、かなり高い放物線を描いた弾道でなくては、自分達のところにボールは飛んでこない。幼いながらにボールを取れない可能性が高いことをぼんやりと理解し、諦めかけていると父が徐に立ち上がった。カウントダウンはもう残り僅かだ。
「3、2、1、発射!」
ランチャーの中から同時に3つ放たれたボールは、やや直線の軌道を描き飛んでくる。そのうちの1つが、私の頭上を通過しようとしていた。しかし、かなり高い。やはりボールは取れない。そう思っていた時、横で立っていた父が思いっきり垂直に飛んだ。身長が185センチあり、学生時代走り幅跳びの選手だった父は、幼い私ではとても届かない、それこそナゴヤドームの高い天井に届くほど、高く、高く、飛んだ。
ボールは父の指先から10センチほど上を通り、後ろの席に座る別の人が取った。私達の真後ろに座る2人組が、父の行動を小馬鹿にしたようにクスクスと声をあげる。父は、あ〜と小さく声を出しながら、私を見て「取れなかった」と少し悔しそうに柔らかく笑った。
試合は川上憲伸投手の喉にライナーが直撃するアクシデントがあったものの、ドラゴンズが勝利した。帰り道、父は「ボール取れなかったから何かいるか?」と私に聞いた。何もいらない、私はそう言った。
そう言えば20歳になったばかりの頃、私が母に「子供が苦手で結婚願望がない」と伝えたところ、「お父さんも昔、同じこと言っていたよ」と懐かしそうに言った。
野球の特集は、最後に現在のセ・パ両リーグの順位表が見せられて終了した。
私は今も、子供が苦手だ。30歳も近い年齢になったが、結婚の願望もない。でももし、誰かと結ばれて家庭を持つような未来があるのなら、その時は全力で愛してあげたいと思った。
ナゴヤドームの空を飛んだ父のように。
ライター名:詩