日本のクラシック音楽界を長年にわたって牽引してきた指揮者、小澤征爾(おざわ せいじ)氏が心不全のため6日にこの世を去りました。88歳でした。後日、お別れの会を検討しているとのことです。
1935年に中国の瀋陽で生まれた小澤征爾氏は、若き日にピアノに才能を示しましたが、ラグビーでの怪我がきっかけで指揮の道へと進むことに。桐朋学園短大を経て欧州へ渡り、1959年には仏ブザンソン国際指揮者コンクールで日本人として初めて優勝し、世界的な指揮者としての地位を確立しました。
その後、ヘルベルト・フォン・カラヤン氏やレナード・バーンスタイン氏の下で学び、1961年にはニューヨーク・フィルの副指揮者に就任。ウィーン・フィルやベルリン・フィルといった世界の名門楽団と共演し、武満徹の「ノヴェンバー・ステップス」のニューヨーク初演を成功に導くなど、彼の名は世界中に轟きました。
1973年からはボストン交響楽団の音楽監督として29年間にわたって活躍し、2002年から2010年までウィーン国立歌劇場の音楽監督を務めています。また、日本人指揮者として初めてウィーン・フィルのニューイヤーコンサートに登壇しました。
彼の功績は数知れず、その生涯はクラシック音楽の歴史に深く刻まれています。小澤征爾氏の死は世界中の音楽愛好家にとって大きな損失であり、彼の遺した音楽はこれからも多くの人々に愛され続けるでしょう。
2005年頃から体調不良が頻発 2010年には食道がんを公表
小澤征爾氏は2005年頃から体調を崩す機会が増えました。70歳を迎えた年には白内障手術を行い、翌年には帯状疱疹(ほうしん)と角膜炎を患い、音楽活動を休止しています。
また、2010年には食道がんを公表して手術で全摘出しました。さまざまな健康上の困難に直面しましたが、同年8月の復帰会見で「家族がラグビーのスクラムのように一体になって助けてくれた」と家族への深い感謝の意を表しています。その上で「マイペースでやっていきたい」という意欲もみせました。
2022年8月には、3年ぶりに開催されたフェスティバルで勇敢にも車いすでステージに登場し、観客を魅了しました。小澤征爾氏の死去に対し、ネット上では「小澤さん大好きでした」「まだまだ若い日本の音楽たちを見守って頂きたかった」「クラッシック界の巨匠、日本の宝のような方だったと思います」などの意見が寄せられています。