ライティングコンテスト佳作

かれこれ三十年あまり前のことです。大学卒業後、信用金庫に入庫しました。入庫式で手渡された辞令には「本部総務部」とあります。

はて、総務部とはいったい何をするところ?
お店で現金とか数えたりしなくていいの?
扇形に広げたお札を数えるのがちょっと憧れだったんですけど。

と、頭の中は「?」マークでいっぱいになり、少なからず不安になりました。入庫式が終了すると、さっそく総務部長から業務説明を受けます。なんと、女性は秘書として理事長関係の業務がメインになるとのこと。

「ヒ・ショ?」まったくの想定外です。動揺を隠せなかったのでしょう、私の様子をみて「大丈夫、先輩がちゃんと指導してくれますから」と総務部長に励まされ「はい」と返事はしたものの、顔はかなりひきつっていたに違いありません。

翌日から、コピーとり、来客応対、お茶出し、調度品の整理整頓などなど。経費精算や帳簿付けはありましたが、金融機関に就職したという実感はまったくありませんでした。

また、マナーにとても厳しい職場でしたので、礼儀作法のひとつひとつを細かく指導されたものです。花嫁修業にはとてもよい職場でしたが、そのような予定がまったくない私には少々窮屈で、向いてないのでは?と悩む日々でした。

そして、理事長がいらっしゃると、その威厳ある風格に圧倒され職場全体が緊張感に包まれます。新人の頃は、理事長がいらっしゃる時のお茶出しには、いつまでたっても慣れず、いつもガチガチに緊張し、若干手を震わせながらお茶を出していたのを思い出します。

特に気をつかったのが会議でのお食事出しです。二十人あまりのお茶や食事、食後のデザートとコーヒーを用意し、タイミングを見計らい、邪魔にならぬよう素早く、なおかつ丁寧にお出ししなければなりません。

理事長以下の役員部長が出席される、ある日の会議でのことです。昼食に仕出しのお弁当とお茶を、デザートにはメロンとコーヒーを用意することになりました。つづいて段取りです。先輩方が会議室に入りお弁当とお茶をお出しし、そのあいだに私がメロンを切ってコーヒーを淹れておくという流れに決まりました。

ところがこの日の会議はとても長引き、なかなか昼食タイムになりません。いまかいまかと待ち構えていたところ、予定より一時間ほど遅れてやっと食事を出すようにとの合図がでました。

先輩方が会議室に入ったタイミングで、給湯室にいる私は冷蔵庫からメロンを出して切りはじめました。すると一人の先輩が走ってきて、「デザートとコーヒーも一緒に出してと指示がありましたので急いで」と。

それからは急ピッチでメロンを切って、コーヒーも用意。そしてとどこおりなくお出しし、ほっとするのも束の間、今度は食事が済みましたとの合図で、速やかにお弁当の重箱や食器を下げて洗います。

目まぐるしく対応しながらも無事終了。先輩方と給湯室でお茶をいただきながら一息ついたときです。一人の先輩が「あれ、一つメロンが残っているけど」と。見るとマスクメロンが丸ごと一個、冷蔵庫の端に鎮座しています。メロンを切る担当だったのは私。それなのになぜかその一個を先輩が見つけるまで、まったく気づきませんでした。

四個用意して、一個余る?なぜ?用意したすべてのお皿にメロンをのせたはず、おかしいな?いろいろ考えを巡らせた私は「はっ」と思いあたってしまい、「やってしまったあ」と一瞬息が詰まり鼓動が早まるのを感じました。

この日の会議では二十四切れのメロンを用意することになっており、一個を六等分にするので四個用意したのです。ところが一個あまっている。そうです、間違えて八等分にしてしまったので、丸々一個あまってしまったのです。

早く用意しなくては、とだいぶ焦っていたのはたしかです。とはいえ大失敗です。それも網目のはいった高価なマスクメロンでしたのでなおさら責任を感じました。

理事長をはじめ会議出席者は「今日のメロンはやけに薄いな」と思われたでしょうからお叱りを受けるかもしれないと覚悟しました。あとで会議に出席された役員に、それとなく伺ったら「メロンの厚みなんて誰も気にしてないよ」とのこと、胸をなでおろしました。

今となっては笑い話ですが、当時新人だった私はこの失敗をかなり気にして落ち込んだものです。とは言いつつ、そのあまったマスクメロンの行方ですが、先輩方とちゃっかりいただいちゃいました。もちろん六等分で。

ライター名:きっと

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