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史上最も最強で単純な敵との奮闘記
- 2023/4/27
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A型の長女でも、未だに不安なことが頭をつきまとう。それはアパートを出ても、電車に乗っても、友だちに会っても仕事をしていても、いつもいつも頭にこべりついて離れない不安。そう、「鍵、かけたっけ」である。
コンロの火消しや窓の施錠に関してはまったく不安にならない。いつもいつも玄関の鍵の施錠だけ。なぜこんな単純なことがいつも不安なのかと言うと、それは私の生まれ育った実家に起因している。
私の故郷はかなり田舎で、家は山の奥の奥。コンビニまで車で20分かかるような奥地で、隣近所には祖父母と父方の親戚が軒を連ねて暮らしている。そんな家で生まれ育ったものだから、鍵をかけるという文化がなかった。故に私は未だに実家の鍵を知らない。鍵の形状も、鍵の在処も。
家族全員で出かけようが、全員で寝ようが、私は実家の鍵を閉めたことがないし、父と母が鍵を閉めているのを見たことがない。当たり前だが、自転車に鍵をかけるという習慣ももちろんなかった。
そんな私が上京してきて、東京のど真ん中で一人暮らしをしているのだ。今のアパートは暗証番号式で、持ち歩く鍵はない。外出する際には暗証番号のところから鍵を閉めるボタンを押せばいいだけなのだが、実家にいるときのくせでついついそのまま家を出てしまう。危ない危ない、鍵を忘れるところだった。同様に家に帰って、そのまま入ろうとして鍵の存在に気づくことも多々。そうだそうだ、鍵かけたんだった。
一度、鍵を閉めずに家を1日開けていたことがあった。家に帰ってそのまま入って、しばらくして今の自分の行動にゾっとした。今、私は暗証番号を押して開錠していないのに、入ってしまった。ということは鍵はずっと開けっ放しだったということだ。幸い何も被害には遭っていなかった(と思う)が、その日はよく眠れなかった。
その日から鍵だけは意識してかけるようになった。おかげで、今では無意識のうちに鍵をかけているのだが、無意識にできるようになるとそれはそれで鍵をかけたという記憶が残らないから困る。
アパートを出て数分歩いたところで、「鍵、かけたっけ」という不安がよぎって、このまま行けば余裕で間に合う電車を犠牲にしてまで確認しに戻ってしまう。ちなみに、これでかけていなかったことは今のところないのだが、私はそうしてしまうほど自分の行動に自信がない。
今ではその対策として、鍵をかける瞬間に自分の爪の色をみている。趣味でよくネイルをするのだが、施錠のボタンを押す瞬間、その指のネイルの状態を確認する。そうすると、ネイルが若干剥がれていたり、ラメが濃かったりして、脳内に『ボタンを押した指の青いネイルが剥がれかけているので塗り直さなければならない』と自動的にインプットされる。
他の行動と付随して鍵をかけたことを認識させるのだ。そうすると出先で「鍵、かけたっけ」が始まっても「青いネイルが剥がれかけていたのを確認したから鍵はかけた」と思いだせる。
面倒なのはその日中に本当にネイルを塗り直さなければ、次の日も同じ情報がインプットされてしまうので、剥がれかけていた爪は今日だったか昨日だったか区別がつかなくなることだ。鍵一つにまったくもって手間がかかる。
しかし、常にネイルを塗っているわけではない。やむを得ず地爪で出かけなければならない日というのはあるので、そういうときはどうしているかというと、正直どうもしていない。というより、対策が浮かんでいない。よって、毎度のごとく出先で不安に襲われる。
一番の解決策は、そもそも自分を信用できればいいのだが、A型であっても長女であっても生まれ育った環境が環境なので、やっぱり私は私を信用できない。この呪縛から解放される方法を私は今でも模索中なのだ。
ライター名:皐月