ライティングコンテスト佳作

20年前の4月、私は高校に進学した。商業高校で、卒業後は大学に進学ではなく就職する生徒がほとんどという高校だった。就職率は高く、他の商業高校より人気があり有名ではあった。家庭の事情により、大学進学は諦めるよう母から言われていた為、第一志望の商業高校に合格した時には母と涙し喜んだ。

中学を卒業し、高校入学間際にあった高校説明会で、私と母は落胆した。授業で算盤があるというのだ。学科によって授業が多少違い、4学科中私の入学する学科だけが算盤があるということだった。算盤は小学3年の時に授業で習った記憶はあったが、わからなかったという記憶しか残っていなかった。

ずっと成績は上位で頑張っていた私だったが、算盤は落ちこぼれに近かった記憶しかなく不安になった。母はこの説明会で、算盤を買うことさえ迷ったと言っていた。今から学科を変えてもらうことは出来ないか、学校にどうにかお願いしたいと思ったと言う。

説明会から帰宅するなり母が、「ねぇ、そこの算盤塾に行ってみようや」と言ったのを覚えている。私より母の方が不安になっていたところがあるかもしれない。自宅から車で5分ちょっとの算盤塾に駆け付けた。とにかく行動したのだ。その日は生憎、算盤塾が休みの日で、教室の外に電話番号を書いた紙が貼られてあり、即座に電話をかけた。

この春から高校に入学するが授業に算盤がある。習ったことがなく全くわからない。高校生だが習いに行っても良いだろうか。という内容を必死に訴えた。電話口の算盤塾の先生は、高齢の女性で私が小学1~2年の時の担任の先生を思い出すような口調だった。月曜日と木曜日が教室のある日だと教えてもらい、次の月曜日に早速学校帰りに向かった。

小学生に交じり高校生が算盤を一から習うという光景に、何なの?あの人?みたいな目線を感じたが、気にしてはいられない状況だった。短い鉛筆を使うように、などという算盤を触る前の基礎から教えてもらった。ワンタッチ算盤を買っていた。中に、差をつける0.1秒。と書かれた厚紙が入っていた。まだ何もわかっていない私は、0.1秒って…と思ったあの時の心境を鮮明に覚えている。

足し算から習ったが、最初はとにかく疲れたのを覚えている。練習問題一つにとても時間がかかった。先生はとても凄く、算盤の先生だからと言ってここまで出来る先生はいないと思った。私が間違えると、対面からなのに間違える前の状態に一瞬で戻してくれるのだった。

こんなに驚いたことは私の人生の中でトップ3には確実に入る。尊敬出来る先生の元、私は日に日に上達していく感覚を覚えた。次第に小学生が、お姉ちゃん!と声をかけてくれるようになり、私も可愛く思え、お菓子を交換したりシールをあげたりして、算盤を頑張る同じ仲間として頑張れた。6月頃、一気に6級5級4級を受けた。4級は試験当日に先生に勧められ急遽受けることになった。無事4級が取得できて先生と母と喜んだ。

算盤にも仲間にも慣れて来た頃、先生から、自分が持っているもう一つの教室にも来られるなら来たらどうか、と提案があった。もう一つの教室は車で20分はかかる所だった。火曜日と金曜日はもう一つの教室に行き始め、より算盤は上達していった。

こちらの教室には母が毎回送り迎えしてくれた。電車通学の私が学校帰りにそのまま向かう為、お腹が空いているだろうからと、パンやおにぎり等の軽食と飲み物を毎回用意してくれ、向かう車の中で食べていた。新商品のパンなんかも見つけて買ってくれていたので、算盤に向かう時間も楽しめた。帰りも迎えに来てくれ、母のサポートあって算盤を習いに行けていた。

もう一つの教室では、小学6年の女の子二人組が手紙をくれ、名前と、これから仲良くしてください。と書いてあった。とても嬉しかった。席は決まっていなかったので、横に座って良いよ、と案内してくれた。算盤が全くわからない状態が、算盤が好きに変わっていった。秋には3級を受け、冬には2級を受けた。合間に暗算も習い受験した。学校の授業の算盤では応用が始まり、算盤の先生に教えてもらいながら試験では良い点数を取れていた。

高校1年が終わろうとする頃、学校の検定で1級を受験した。1級は合格に至らなかったが、算盤を習って半年ちょっとで2級まで取れたことが嬉しかった。高校1年が終わると同時に算盤を習いに行くことを辞めた。学校では算盤は特に得意科目になっていた。まわりは3級も受験出来ていない人が大勢だった。

算盤を辞める時、先生も母も私も、何故か涙が溢れ出て3人で涙をすすりながらも笑ってお別れをした。それから約1年後にあった修学旅行では、先生にお土産を買い、教室に渡しに行った。久々の再会に先生と抱き合った。

算盤を辞めてからも毎年、先生とは年賀状を交わしていた。6年前に先生が亡くなるまでの約15年間、連絡を取り合っていた。私が成人した時にはお祝いをいただいた。

高校入学前、算盤があると知ったあの時の衝撃・落胆は今でも忘れられない。そして、最初の頃の、小学生が私を見る目。もう一つの教室に通うのは、私一人では厳しいことなど、困ったことや辛いことがありながらの算盤。尊敬出来る先生、支えてくれた母、仲良くしてくれた小学生の仲間のお陰で頑張れた。感謝してもしきれない。

数年前、病気が見つかり今、私は闘病生活を送っている。色々と困ったことがあるし、これから困ることもあるだろう。だけど私は高校1年の算盤を頑張った時を思い出し、どんなことでも頑張れると自信がついた。私はまた、困っているが闘う時が来ている。

ライター名:ねりかり

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